井上康生さんインタビュー

意外だった。正直、笑顔の印象があまりなかったが、対峙した瞬間それは裏切られた。誰よりも優しい屈託ない笑顔を見せてくれた人…。それは柔道日本代表監督・東海大学男子副監督・井上康生氏だ。柔道選手から指導者に転身した井上監督。日本代表をまとめあげるその手腕は高く評価されている。今回、普段中々、聞くことのできない「指導者としてのフィロソフィー」を大いに語ってもらいました。

井上康生



―――現役選手時代から指導者の道に進もうと考えていたんですか? またそのきっけは?

井上 指導者を意識し始めたのは、恩師の皆さんとの出会いがあったことが大きな要因だと思います。学生時代に出会いました山下(泰裕)先生、佐藤(宣践)先生や当時の監督の中西(英敏)先生、今、東海大学柔道部の監督でいらっしゃる上水(研一朗)先生、こういう方々の影響が非常に大きかったんです。そんな中、佐藤先生に「いずれは指導者の道を考えてみたらどうか」というアドバイスを頂きました。その時、こう思いました。「人を育てる道は、非常に難しいこと。それと同時にこれほど素晴らしい仕事はないな」と。こういった経緯を経て、指導者の道に進もうと思ったんです。

井上康生



―――指導者になる環境としては、非常に恵まれた環境だったと思われます。そんな中、指導者の道を選ぶにあたり、自分は指導者に向いているか向いていないかなどは考えましたか?

井上 そうですね、まず指導者の環境面においては確かに非常に恵まれた環境だとは思います。しかも僕自身、宮崎県で育って、両親から兄弟から多くのサポートや愛情を注がれ、何不自由なく育った部分がありました。また、この東海大学に行くと決めて進んだ後は、高校時代から今まで英才教育のもとで素晴らしい先生や環境、友人に出会え、本当に感謝しかありません。ただ一方で言えることは、自分自身にも常に言い聞かせたり、子供達にも感じてもらいたいんですが、「偶然的な出会い」というものはあるかもしれないが、「必然的な出会い」もあるということです。どういうことかと言うと、やはり自分自身がこういう風になりたい、こういう人間になりたいということを強烈に描いて、その道に努力していると様々な出会いが必然的に起きてくると信じています。指導者に向いているか向いていないかは分かりませんが、自分自身はこの「必然的な出会い」を大事にして今後も生きていけたらと思っています。



―――2008年に現役引退。その後、指導者になるために英国に留学されていますが、留学先で学んだことは?

井上 留学に行く前の目的というのは、語学(英語)の勉強はもちろんですが、今、柔道界の先進国はヨーロッパですので、ヨーロッパ柔道の状況、また世界中の柔道関係者との人脈作りでもありました。しかもこの留学の3年後にロンドン五輪もあったので、その視察も兼ねていました。私自身、5歳から柔道を始めて、30歳まで柔道一筋で生きてきました。引退後は第二の人生ということで、社会はどういうものかを知る時間が欲しかったんです。ですからイギリスの地で語学を学んだり、色々な人脈を作ったり、海外で柔道指導などの経験をさせて頂いて、いろんなものを吸収することができました。次なる第二の人生にとって本当にいい準備ができたと思っています。正直、留学して心から思ったことは、自分自身、無力であり、無学だったということ。語学に関しても、柔道の指導に関しても、全然分かっていなかった。例えば、世の中の政治的な問題や社会問題、宗教的な問題、もっと言うならば、日本の文化からありとあらゆることを全然、分かっていなかった。そんな現実の自分自身を知った時に愕然としました。その反面、もっと勉強することによって、もっともっと自分自身が伸びるということを改めて実感させてもらいました。留学経験は本当に貴重な体験をさせて頂けたと思っています。



―――選手を引退して指導者を考えているアスリートの皆さんも改めて勉強し直すということは必要だと思いますか?

井上 そう思います。もっと辿っていけば、私自身も非常に後悔していますが、やはり子供の時から基礎学力かあるかないかでは全然違ってくるかと思います。ある意味、スポーツ界もこれまでと変わってきています。例えば、スポーツだけ活躍できる人、もちろんそれも素晴らしいことですが、それだけでは憧れられる選手にはならない気がします。世の中の人達は、競技力プラスアルファの「人の魅力」「人間力」を見ていると思うんです。社会で生きていくための基礎学力は、選手にも指導者にも必要だと思います。もちろん社会に出ても柔道で活躍できる選手になってほしいですが、いろんな分野で活躍できる人材になるということも重要なことですから。

井上康生



―――井上監督の指導法についてお聞きしたいのですが、日本オリンピック委員会山下(泰裕)会長もおっしゃっている「自立できる選手」という所がキーポイントになるんでしょうか?

井上 そこは柱になっていると思います。我々の集団、また世界のトップを走る中では、自立した上で、また自主的に、自発的に行動に移していける人間でないと世界のトップには立てません。やはり究極を目指すというところにおいては、そういう人材を育成していくことを目標に行っています。
 ただ何もない所で、「自立」だとか「自発的」と言われても選手達は動くことが難しい。様々な知識を得ることができる環境を選手達に与えることが重要です。その中、選手自身がどう競技に活かしていくか、またどう能力を大きくしていくか考えなければいけないと思っております。そうして人としての魅力も向上してほしいと。とは言え、選手達は非常に個性が強く、相手を蹴落としてでも自分がのし上がっていく精神というか本能を持っていないと生き残っていけません。中には全てを自分中心的に考えて、とんでもない行動を起こす子達もいます。「自立した人間性」も大切ですし、「強い個性」も大切。正直、指導においては常に模索しています。ただ何度も言うことになりますが、自立、自主的、自発的にできる人間を育成するということは、今までの指導の中でぶれることなく進めさせて頂いています。常々、選手達には責任を持った行動をするように指導しています。もし何か選手達が犯してしまった場合には、自分自身も監督として責任を取る覚悟はできています。



―――井上監督でも指導に悩んだ時は誰かに相談するのでしょうか。

井上 もちろんしますよ。自分の能力なんてたかが知れていると思っているので。だからいろいろなスタッフの方達や練習パートナーの力を借りたり。根本的に僕自身が思っているのは、「個の力」なんてたかがしれていて、やはりいろんな人達の力を結集して初めて大きな力が生まれると思っています。だから自分自身が悩んだり、苦しんだ時はいろんな方々にアドバイスをもらい、勉強して判断するようにしています。トレーニングについてであれば、トレーニングスタッフに協力を得ますし、各選手に担当コーチがいるので、そのコーチにも協力を得ます。ただ最終的なジャッジは監督である私が判断しなければいけません。そうしないと組織の方向性があっちに行ったりこっちに行ったりしてしまいます。1度、「よし決めた」と腹をくくったらその方向を通していきます。何が起きても責任は自分が取ると考えるようにしています。

井上康生



―――話は変わりますが、監督となって初のリオデジャネイロでの五輪(2016年)で全階級メダル獲得という偉業を成し遂げました。偉大な結果を出したことで指導において不安とか焦りみたいなものはなくなりましたか?

井上 常に焦っていますよ(笑)。それがない指導者は多分、物事を楽観的に捉えて過ぎているんじゃないでしょうか。そういうチームは大きな隙ができてきます。最終的には楽観的にポジティブに物事を捉えて進めて行くことも重要ですが、全てにおいて「いやぁー大丈夫だろう」とか「このくらいやったらどうにかなるだろう」というような考え方では、間違いなく落とし穴に落ちる可能性があります。常に最悪のシナリオを想定し、緻密に練習プランを考え指導するようにしています。調子いい選手でも、いつどうなるかと不安ですし。日々、そういう葛藤を自分の中で行っています。指導者は孤独であるという話を聞きますが、まさしくその通りだと思います。楽観的に考えるってことが難しいですね。

井上康生



―――恩師である佐藤先生から現役時代に教わった言葉「Why」「If」という考え方、「なぜこうなったんだ」「もし●●なら」という考え方が指導者になっても使うことはありますか?

井上 現役選手時代にはよくその言葉を頭に浮かべ物事を考えていました。指導者になった今でも「Why」「If」で考えることはよくあります。この言葉は私にとっても非常に重要な言葉になっています。



―――井上監督がJOCナショナルコーチアカデミーで学んだ「名コーチは名質問者であれ」という言葉通り、やっぱり試合に負けた時にコーチがどうやって選手に声をかけるかで成長の度合いが変わってくると思うんです。

井上 結局、選手とのコミュニケーションのあり方って、我々が学生だった頃と今では変わってきた所があると思います。ひと昔前は試合で負けたら「何で負けた?」と聞かれて、コーチにわーっと言われて、ハイ終わりって感じだったと思います。とりあえず「はいはい」聞いておけばいいやと。じゃあそれで自立だとか自主的という人間育成ができるかというと難しい。1つの結果でも「なぜ負けたのか」「今後どうするべきなのか」というものが整理されないと次に進めないのかなと。いかに自分自身がどういう状況だったのかをしっかり言葉にできて整理できるような指導を心掛けています。
 ただそうは言っても最初の段階では中々、選手の言葉を引き出すのは難しいと思います。「今回の試合どうだった?」と聞いても「いやー、悔しかったです」と。「そりゃ悔しいのは分かるよ、俺が聞いているのは、悔しいじゃなくて、なぜこういう結果になったのか聞いてるんだよ」という感じです。これまで選手達は「はいはい」と答えてきただけだったので、そりゃ時間はかかると思いますが、必ず変わってきます。

井上康生



―――井上監督は、柔道界の変わり目において日本代表の監督になり、「改革」を起こし、選手、スタッフにおいても変化させてきた。そして結果を出した。その要因は?

井上 間違いなくチーム力だと思います。数多くのスタッフやコーチのおかげだと思っています。これには所属の仲間や先生方も全部含まれます。この力無くしては結果はでなかった。この先においてもオールジャパンで戦っていくことが結果に結びついていくかと思います。私がやったことは本当にたかがしてれいています。やったことの1つとしては、様々な才能を柔道界に巻き込むということです。統率という難しさはありますが、バランスを考えてシステムを作っていきながら進めていきました。



―――大人を統率するのは本当に難しいことだと思います。何か秘訣はあるんですか?

井上 人間は感情で生きている生き物ですから、やはり気を使うってことが大事だと思います。感情1つとっても悪い方向に進もうと思うケースもあれば、いい方向に進もうというケースもあります。人と人とのコミュニケーションは、本当に大切だと思います。とにかく方向性を同じ目線で見られるようになっていないと。そのためには情報共有が必要です。もちろん言えることと言えないことの線引きをしっかり持ちながら進めることが必須になりますが。柔道界においても日本代表においてもどういう方向に進むべきかの理念をしっかり持った上で、「こういう目的でこういう進み方をしていきましょう」と情報共有していきます。最後は腹をくくって、「皆さん、こっちへ行きましょう!」と監督として導いていきます。

井上康生



―――井上監督が導く方向に皆がついてきたのには、大きな理由があるかと思えます。先ほどからお話を聞いていると、それは「優秀な選手、指導者の前に素晴らしい人間であれ」という思いが、井上監督の根底に流れているのかなと。

井上 どのような人間が素晴らしい人で、どのような人が素晴らしくないか私には分かりません。ただ私自身尊敬する柔道家は誰だと聞かれたら、やはり「山下泰弘」会長って言ってるんです。山下先生のこれまで柔道家として生きてきた姿や、今、現在も世界で活躍している姿、直接接してもらった中でも魅力的ですし、誠実で真っすぐな方だと思っています。そういう姿を見させてもらって、「僕もこう生きたい」「こういう人間になりたい」という思いがあるんです。山下先生に近づいたなんて1ミリも思いませんが、尊敬しながら背中を見ながら色々と勉強させてもらっている身です。ただ自分自身の人生ですし、世の中に生まれてくるのはそれぞれの役割を持った上で生まれてくると思いますので、自分自身、井上康生しかできないものをしっかり持って進んで行けたらと思っています。



―――なるほど。例えば、井上先生が山下会長に学んだように、年齢的なことを考えて自分の次の指導者の育成などを考えたりしますか?

井上 間違いなく東京オリンピックで監督という仕事を退く方になると思います。8年間という任期ですから。そうなった時、次なる世代が、どう柔道界を引っ張っていくのかという人選も考えなければいけません。柔道界が輝き続けるための人材育成については非常に大事なことだと思っています。ただこのコロナ禍において、思うように練習ができず選手達も苦しんでいる中で、「自分自身で何かできるか」ということを考えて、ウェブを通して、社会貢献の活動をしたり、子供達に夢や希望を与える活動をしています。例えば、大野君や羽賀君なども仲間を集めてSNSで発信している姿を見ると、逆に勇気をもらえますし、今後の柔道界も明るいと思えます。今後はもっとそういう人材が増えるような取り組みが必要になってくると思います。



―――つまり次の世代や指導者が育ちやすいような環境作りをしていくということですか?

井上 そうですね。環境も含めてだと思います。この前、ある方から言われた言葉で「リーダは自然に湧き上げあってくるものではない。やはり育成して育てていくものだ」と。なるほどと思いました。自分自身に置き換えても、両親がいたり、指導者の道を強烈に意識するきっかけになった佐藤先生、山下先生、上水先生に出会い、そして指導のノウハウまで学ぶことができました。私自身、大したことはできませんが、育てて頂いた部分がありますので、次は自分が次の世代にバトンタッチしていく役割なんだと思っています。次の指導者だけでなく、もっと大枠の話をすると、子供達にたいても我々先人達が築いてきたことをひとつの参考として、子供達に影響を与えられるような存在でなければと思っています。



―――柔道人口も日本は約20万人、フランスは約80万人。日本は年々少なくなってきているようです。

井上 柔道人口で言うならば、もちろん理想は増えてほしい。ただ現実問題、増やすことは中々、難しいことです。なぜかって、少子化により相当な子供が減っていますし、いろんなスポーツが世の中に増えてきましたから。ではどうしたらいいか、今の柔道というものが今の世の中の人々にとって魅力的であり、また子供達が「やりたい」って思える競技になるか、柔道に携わる子供達を1人でも多く確保できるかなんです。もちろんその競技が強ければ人は増えるかもしれません。ただそれだけでは限界があります。今、羽賀君とか若手の柔道家が世の中に情報発信をしています。私はこういう行動も世の中に影響を与えられる1つだと思っています。競技力の向上+αで柔道の価値、スポーツの価値を引き出せる取り組みが必要かと思います。



―――最後に今、バックアスリート(裏方スタッフ)で活躍されている人達にメッセージを。

井上 選手時代の時ももちろんスタッフの方達の仕事は理解した上で感謝の気持ちは非常にありました。やはり監督になってより一層、言い方に語弊があるかもしれないですけど、スタッフの協力が全てだと実感しました。先ほども言った通り、私1人の個の力なんてたかがしれていますから。いろんな方達の力を借りられれば、何かを成し遂げようとした時に大きな力が生まれることを感じました。本当にサポートしてくださる方々の存在というのは、私にとって絶対的な存在であって、これからもご協力頂きながら進めていきたいと思っています。柔道の目線だけでなくいろんな目線を持った方と関わり、多角的な視野で柔道界も盛り上げていけたらいいなと思っています。
 今回、こういう「裏方のスタッフ」に光をあてるメディアによって、普段は日の目を見ない人達にクローズアップしてくれている環境はとってもいいことだと思いますし、こういう環境をもっと整えていってほしいと願っています。



井上康生(いのうえこうせい)・・・1978年5月15日生まれ。宮崎県出身。
全日本男子柔道監督、東海大学男子柔道部副監督。
東海大学体育学部武道学科教授。柔道家。
2000年シドニー五輪100kg金メダル、2004年アテネ五輪出場。
1999年、2001年、2003年世界選手権100kg級優勝。
2008年現役引退。2009年から2年間英国留学。
2012年11月から全日本男子柔道監督に就任。
2016年リオデジャネイロ五輪において、「全階級メダル獲得」を達成。





●インタビュー・構成/浦澤修