インタビュー

バスケットボールを続けコートに立ち続ける~井手口孝さん~

日本体育大学出身、学生時代に玉川聖学院のコーチを担当。教員免許をとられ、中村学園女子高校に赴任。その後、第一保育短期大学(現:福岡こども短期大学)へ移動、翌年1994年から福岡第一高校に勤務。パラマ・バスケットボール塾を創設し、人数は100人以上に。やがてバスケットボール部へ成長。

福岡の強豪、バスケ部の基礎から築き上げた井手口孝さん。部活の練習は朝早く夜遅くまで行われます。毎日の日課は大変なものですが、「体育館にいることが好きなので」と井手口さんは笑います。先生としての側面、コーチとしての側面。両方の指導だからこその苦悩と選手への想いや情熱を語っていただきました。

バスケットボールのコーチとしての想い

―――バスケコーチを志された経緯を教えてください。

井手口 僕はティーチャーであり、コーチです。その意味で、中学の時は2人の先生から、もう1人は高校の先生にも影響を受けました。中学3年の担任は、野球出身のソフトボール部の先生でした。手も出る、足も出る非常にハードボイルドな先生でしたが、共感するところはありました。もう1人は、バスケット部の監督。体育の先生であることも共通していましたが、当時としては珍しく一切手を出さない温厚な先生でした。僕にはどちらの先生も良かったです。その2人の「体育の先生」の違いはすごく印象に残りました。

気性が激しい担任の先生は、その分だけ感情も豊かだから、卒業式の予行練習から号泣していました。まだ金八先生がテレビで始まってもいない時代。それだけ厳しい先生が僕たちの卒業を前にしてあんなに感動してくれるのかと、想像もしていませんでした。「先生」という職業がいいなと思いました。その後、高校は西南学院高等学校に進みます。3年間同じ先生が担任でした。ご自宅で勉強合宿させたりするような先生でした。先生は絶対「やめろ」と言わない。

自宅に連れて帰ってまで「学校に出ろ」と諭すような昭和のいい時代でした。この3人の先生から、生徒を大切にする「ティーチャー」としての精神を学びました。僕にはそれが大きかったです。

―――コーチとして、大切にしていることはありますか?

高校でも、バスケットボール部に入りましたが、そこには指導者といえる方がいませんでした。僕らだけで練習していて、たまにOBの方が来てくれるような状態でした。最悪なことに1年生の新人戦で当時の顧問の先生が日程を間違え、試合に来てくれずに没収試合になった経験もありました。そこで、後輩たちにこんな思いさせたくないと思って、母校に帰って体育の先生とバスケットボールの監督やろうと思いました。母校の体育の先生のほとんどが日本体育大学の卒業生だった事と日本体育大学のバスケットボール部が日本一だったので進学を決めました。

コーチとして、大切にしていることは、なんとしても辞めさせないことです。僕自身はバスケットを長くやっていたから今の人生があります。バスケットボールが全てだというわけではないですが、一番は、バスケットボールを好きになってほしいということ。その次に思うのは福岡第一に入学して良かったと思ってくれること。例えば試合に出られなかった、ベンチにも入れなかった生徒達も、バスケが好きな気持ちを持って卒業させたいという思いです。

――――選手たちの強さの秘訣や指導者としてのやりがいを教えてください。

今は、日本中から素晴らしい選手たちが来てくれるようになりました。部員は73名。来年も40人ぐらい入学する予定です。福岡第一の特徴的なところは、圧倒的にガードが多いことです。今度の新入生もほとんどがガードです。並里成みたいな優秀なガードがいたからだと思いますが、それを目標にたくさんの良いガードが入ってきて、重富友希、重富周希みたいなガードが入ってきたらまた次のガードがという形です。

東海大学へ行った狩野祐介というシューターもいましたが鵤誠司、昨年の河村勇輝にしてもそうです。彼らは、高校の頃から技術的なことだけではなく、しっかりした自分というものを持っている、ブレない何かを持っていました。そういう子たちがいま、成功してくれている気がします。強さの秘訣は、並外れた練習量はあるかなと思います。あとはベーシックなバスケットボールのディフェンスを中心とした取り組みです。

それに裏付けられたメンタルの強さです。2020年ジョン・R・ウドゥン賞を受賞したロサンゼルスのデイブ・ヤナイさんという素晴らしいコーチがおられますが、デイブさんのバスケットボールに対する想いとか、選手に対する考え方、それも自分の大きなベースになっています。

崩れないものは持っているつもりではいます。もちろん新しいものは取り入れるし、色んな人の意見を聞きます。僕自身に尊敬する存在がいるということは僕が崩れない、つまりチームも崩れないということなので。僕の指導にブレがあればチームにしっかり指針ができないと思うので大事にしています。やりがいとしては、結果を求められて、日本一になったことです。

そして卒業生がプロや大学で活躍していることですね。今だったら河村勇輝ですとか松崎裕樹とか。彼らがメディアに取りあげられ、活躍している姿を見るのは大きな喜びです。また、今輝いているトップの子だけではなく、心配していた子が3年間で上手くなって「先生、大学もバスケットしたい」と言って、辞めないで最後まで頑張ってくれたことです。バスケットボールを好きになって大人になっても続けていってくれる、こういうところですね。

バスケットボールコーチとしての仕事内容

―――先生の勤務形態や、バスケットボール部の活動内容を教えてください。

現在、校長代理を勤めています。担任から始まり、学年主任、協会の仕事や日本代表の活動など、一番忙しかった時には生徒指導部長、副教頭、去年までは教頭を担当していました。年齢とともにそのようなポジションを与えてもらっています。担任をしていたときは、朝練が終わったと思ったら朝のホームルームで、体育の授業、帰りのホームルーム、そして放課後再び体育館で会う。しつこいくらい生徒と一緒の時間がありました。あの頃が一番良かったのかなと思います。

今は学校生活でも、生徒との距離がかなりありすぎますね。バスケットボール部の生徒たちのほとんどはアスリートコースに所属しています。バスケットコート2面を男子バスケットボール部だけで使っているので、環境はまだ恵まれている方です。70人を超える生徒たちをなんとか毎日「今日もきつかったな」、「今日も怒られたな」という思いで帰したいと思っています。朝練にかける時間は一時間。7時15分~8時15分まで、30分ずつAチーム、Bチームとわけて体育館とグランドを使用しています。

自宅から通っている選手が3分の1。3分の2の選手は寮です。実力だけではなく、通学距離も考えています。放課後練習は、火~木曜日は、アスリートコースが6時間目にクラブ活動ができるように去年ぐらいからカリキュラムを変えました。通常は4時15分からですが、3日間は3時15分から練習ができる日です。練習内容は、月曜日がオフでほぼフリーで、火曜日はトレーナーさんが来て、トレーニングをする日です。水~金曜日は主にチーム練習を行い、土日は練習試合、または公式戦が入るというサイクルです。

主力のAチームは、2時間半~3時間半のチーム練習をしたら、一度寮に帰って晩御飯を食べ、また体育館へ戻ってきて1時間ぐらいシューティングをします。それ以外の子たちと自宅から通う子達はその間に個人練習をしています。主にチーム練習の後に個人練習をします。シュートだったりトレーニングだったり、時間にすると20時までやって帰ります。20時からはAチームの子達が戻ってきて、シュート練習をします。水~金曜日あたりがそういう感じです。基本的には朝7時過ぎ学校行って、体育館を出るのが21時過ぎという勤務形態です。

――――うまくいかない時はどう向き合って乗り越えていかれたのでしょうか。

思う通りの結果を出せなかった時は、「チームのいいところ、一番練習してきたことはなんだ、基本に帰れ」と言います。例えばディフェンスではマンツーマン・ディフェンスがうちのベースですが、練習量が足りないと不安になります。そうすると、ちょっとだけごまかそうなどと思い形だけのゾーン・ディフェンスに頼りたくなってしまう事があります。そういうことに陥らないように気をつけています。オフェンスもやっぱり1年間かけて作ってきた子ども達同士の動きの方が絶対うまくいきます。

大会直近に新しいフォーメーションを仕入れて試したくなったりすることが間々あります。それがうまくいかなかった失敗を何回もしてきていますが、違うことに手をだしたくなる時があります。そんな時に、自分自身に「基本に帰る」言い聞かせています。高校生までに基本はしっかり身につけて欲しいと思っています。そうすると地味な練習をする時間が増えますね。しっかりしたものが備わって大学に進めば、どんな環境でも順応できると思います。大学ではもっと活躍してほしいと思っています。

練習のスタイル的には、いっぱい走っていっぱい動くということをやっているので、大学進学後の練習には役立っていると思います。

バスケットボールコーチとしての最高の経験

―――ヘッドコーチとして最高の経験、感動した興奮したことを教えてください。

いっぱいありますが…日本代表のアンダーカテゴリーのヘッドコーチをさせていただいたときです。U16アジア戦の準々決勝で韓国に勝利しベスト4を決めた試合ですね。八村塁くんが高校1年生の時です。何よりも韓国に勝つという使命を果たせて、大喜びをしました。準決勝で中国に敗れましたが、3位決定戦で台湾に勝って、世界選手権の切符を取りました。当時はアンダーカテゴリーの大会は全然注目されていませんでしたから、イランのテヘランでの試合は僕らだけで戦っているみたいな寂しいものでした。それでも、国を背負って戦った、あの時の経験は大きな財産になっています。

福岡第一では、毎年感動があります。そのなかでも初めてインターハイに優勝した時や、インターハイ初出場を決めた試合、などたくさんあります。基本は勝利したゲームですね・・・。負けた試合は忘れています(笑)

今後のバスケットボール界に期待していること

―――これからのバスケットボール界に、期待したいことはありますか?

バスケットボール界となると、特に男子は年齢が上がっていくほど世界で勝つということが難しくなってきます。八村塁君、渡辺雄太君のようなNBAプレヤーが出てきて、明るい兆しは見えていますが、早く日本のオリジナルなスタイルを誰かが構築しなきゃいけないでしょうね。そういうコーチが出てきてほしいと思っています。例えば、日本人の勤勉さ、人のためにとか、犠牲を厭わないなどといった、こういう精神をうまく取り入れて成功しているのが日本のラグビーかなと思っています。日本は世界で一番素晴らしい国民性だと思っています。

世界中の国で力を入れているスポーツで、日本が勝つためには、日本のスタイルの構築が必要だと思っています。日本人の特性や良いところを理解された人がトップになって引っ張って欲しいです。日本人でもいいですし、外国人でもいいと思います。

バスケットボールは世界中で行われている競技です。だからこそ、いつか世界のトップに立ってほしいですね。金メダルと言わないまでも、アメリカと互角に戦っている姿を見たいです。しかしながら、今のBリーグを見ると少し遠いかなという気がします。女子のWリーグのほうは、世界のトップに近いかもしれません。日本人の良さを出したバスケットボールになっていると思います。

 

―――トーナメント制を廃止してリーグ戦を増やすべきだという意見が色々なスポーツで話があがってきていますが、先生はどう考えられますか。

学校は顧問になってくれる先生が少ない。先生には山ほど仕事がある。そして良い外部コーチはなかなか見つからない。これが現状です。今以上に試合数が増えると顧問の先生方への負担は増すばかりだと思います。高体連や協会も日程や体育館の確保、審判員の要請などが増えるので調整が大変になります。

中体連や高体連との細かい調整が必要です。ある県では、リーグ戦の日程確保のため、ウインターカップ出場校が直前の週までリーグ戦に参加しなければならず、全国大会を前にして調整が出来なかったという例も聞いています。U12や大学生は既にリーグ戦文化が浸透しており、全国大会の予選がリーグ戦で行われているところも多く見られます。しかし全国大会になるとトーナメント戦がほとんどです。

強化のためのリーグ戦

ブロック(北海道から九州までの9ブロック)または広いエリア(例えば西日本・中日本・東日本)の

トップチームによるリーグ戦を実施。上位チームはインターハイやウインターカップの出場権を得る。

普及のためのリーグ戦

トップリーグに参加していない各県のチームをディビジョンに分けてリーグ戦を実施する。部員が多い

チームは複数チーム参加することが出来る。

バスケットボールコーチとしての将来のビジョン

―――先生のこれからのビジョンを教えてください。

今年、僕は58歳になります。学校の定年は60ですから、あと3年です。ですが4年後のインターハイが福岡で開催されることになりましたので監督として出場したい気持ちもあります。そこまで健康であるのか、コートに立ち続けることができるかどうか、精神的にもそうですが、がんばりたいです。ライジングゼファー福岡(Bリーグ:B2 西地区)もあります。これから良くなっていくと思いますので、アンダーカテゴリーのところで何かお手伝いできないかなとも思っています。

宝くじを当てて、自分の体育館を建てたい(笑)コートに朝から晩までいたいです。昼間は大人の部、プロの予備軍が練習して、夕方からは中学生や高校生が練習、夜は社会人の部がするなど、そういうバスケットボールコートを経営して、ずっとバスケットを見ているのも良いかなと思っています。現実的には難しいでしょうが(笑)単にクラブを作ることはできますが、体育館を借りるところからはじめないといけませんからね。学校や公共の施設を使うことは簡単ではありませんから。民間のコートがたくさん出来ると良いですね。

―――これから教員になって部活の指導者になりたいという方に向けて、メッセージをお願いします。

放課後、少しでも早く体育館に行きたいけど、職員室で仕事がある。一生懸命工夫して、どれだけクラブ活動に費やす時間を作る事が出来るか。そこに多くの教員が負けてしまいます。どうしても先生としての役割が優先になってしまいます。学校の教員をやりながらの指導するのは大変です。能代工業高等学校バスケットボール部の加藤廣志先生や、伏見工業高等学校ラグビー部の山口良治先生は県立高校の体育の先生でした。しかしながら部活動だけではなく、学校を変えてしまうほどの影響力があったわけです。学校どころか町や行政、世論まで味方にしてしまわれました。

日本一の指導者を目指す方には、それぐらいの熱量が必要だと思います。環境を嘆くのではなく、環境を変えてしまうぐらいの意識を持つ。与えられるのを待っていたらだめですよ。与えてもらえない。だけど工夫して努力して、自分から手にしていかなければいけないと思いますね。

プロフィール

井手口 孝(いでぐち たかし)

福岡県出身/58歳
福岡第一高等学校男子バスケットボール監督/校長代理

 

西南学院高等学校

日本体育大学

中村学園女高等学校

第一保育短期大学(現:福岡こども短期大学)

福岡第一高等学校(1994年〜現在)

インターハイ優勝:4回/ウインターカップ優勝:4回

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