一生アスレティックトレーナーとしてあり続け未来へ繋げる~井澤秀典さん~

「“キツイこと”を逃げずにやらないと駄目だと思います」インタビューの中で、井澤秀典さんが大変印象的な言葉を語ってくださいました。私達がついこの間、熱くなり応援したラグビー日本代表。

目次

アスレティックトレーナーとして選手を支えてこられた井澤さんですが、その数年はかなりハードな日々を過ごされたと伺いました。それでもご自身は辞めたいと思ったことはないそうです。好きなことに掛ける情熱はもちろんですが、どのような職業であっても、目指すために最も必要なことをご自身の経験から教えて頂きました。

トレーナを志したきっかけと活動内容

―――トレーナー業を目指されたきっかけをぜひ教えてください。

井澤 高校生の時にラグビーを頑張っていましたが、2年生の時に怪我をしまして。動けなかった頃にたまたま見たテレビ番組がトレーナー業を始めたきっかけになりました。当時、ラグビーでも神戸製鋼コベルコスティーラーズが非常に強く、平尾誠二さんや林敏之さんなど、往年の名プレイヤーと言われている人達がたくさん活躍されていた時代でした。

その時も、テレビで神戸製鋼コベルコスティーラーズの特集をやっていて、放送中にロック選手のテーピングを巻いている人の姿が映りました。田中啓子さん(日本人女性第1号のATC)という方でしたが、当時の僕は「この人、なにをする人なんだろう」と興味を持ったのを覚えています。それが後に『アスレティックトレーナー』という仕事だとわかり、気になって自分でも色々調べました。

高校3年生になって、さらに本格的にそのトレーナーになるにはどうしたらいいか進路を含めて考えていました。最初はアメリカに留学してATCになろうと思いましたが、親が海外に行かせるのは心配だったようで反対を受け、違う道も考えました。学校の先生や中学校の先生にも相談したところ、体育大学に入ったらどうかと勧めてもらい、順天堂大学の体育学部 (現在:スポーツ健康科学部) へ進学しました。

また、トレーナーなるにはどうしたらいいか、直接話を聞くのもいいかもしれないと考えて、本屋に行ってテーピングの本を探して買ったことも思わぬ出会いになりました。著者の先生は鹿倉二郎先生。日本人で-最初にATCになられた方です。それで手紙を書いて、「どうやったらトレーナーなれますか?」と聞いた覚えがあります。

返事は来ませんでしたが(笑) そんな先生といま一緒に順天堂大学でお仕事をさせていただいています。ちなみにその話を先生にしたところ「当時、そういう手紙があまりに多かったから返事を書かなかったんだよねー」なんて言われました(笑) 考えるとすごくご縁を感じますね。

僕は現在、その順天堂大学と専門学校、JISS(国立スポーツ科学センター)で非常勤講師をしています。トレーナーを志したきっかけはこのような流れで始まり、現在に至ります。

―――球団や、代表チームに帯同されていた時はどういったスケジュールで活動されていましたか。

井澤 一番最近でいうと、ラグビーの日本代表チームにずっと関わってきました。ご存知の通り、ラグビー日本代表チームはかなりハードな練習をします。今はジェイミー・ジョセフさんというヘッドコーチですけど、前任のエディー・ジョーンズさんの時は、朝5時から練習をすることもあったので4時すぎには起きて支度をしました。トレーニングの準備をして、練習中はサポート、それから朝ごはんを食べました。

その後、次の練習の準備をしますが、途中で選手の体の状態の確認やミーティングが入ることもあります。そうやって午前中の練習が終わり昼食に入ります。もちろん夕方にも練習があるので、その準備をしながら、選手にテーピングを巻いたり、身体のケアをしたりリハビリを行います。練習が終わったら夕食を食べて、チームミーティングがある場合はチームミーティングに参加。終わった後に選手のケアをします。

1日のスケジュールを考えると終わりは22時23時くらいになります。その日のレポートをまとめながら次の日に向けて簡単な打ち合わせを行い、24時、1時ぐらいに就寝しました。当時は、夜中に就寝して、また夜明け前に起きるのでずっと夜が続いているような時差ボケではないですが変な感覚でしたね。

睡眠時間は少なかったですが、それでもこれが「当たり前」という風に思っていました。僕にしてはすごく新鮮に思っていて、「これぐらいやらないとやっぱり世界には勝てないんだな」と思っていました。

それが普通になってくると人間は慣れてくるもので(笑)時間になるとちゃんと目が覚めて、仕事して、リズムができます。実際はもう1回やれと言われたら難しいかもしれませんが(笑)ラグビー以外の競技での仕事も、サッカーだったらクラブハウスに行って練習約2時間前には準備をしていましたし、そういったリズムは崩しませんでした。

練習前、練習後はどうしても拘束時間は長くなります。こういう点も含めてトレーナーだという風に思わないとやっていけないかもしれませんね。仕事についてのやりがいは、そこにいることが好きということです。

きついと思ったことはありますが、辞めたいと思ったことはないです。自分が好きだったり、やりたいことだったりを仕事にできるのはすごく幸せなことです。選手と一緒に同じピッチにいられること、関わった選手が怪我をして復帰し試合に出る姿を見る時もやりがいを感じています。

―――アスレティックトレーナーとして第一線で活躍され、経験されてきたなかでこの職種のポジションはどのように変化をしてきたと感じますか。

井澤 僕もちゃんと勉強している訳ではありませんが、トレーナーという職業が確立されたのが前回の東京オリンピック1964年の時。JOCが選手のケアやマッサージをする人を集めて始めたのが、トレーナーとして始まりだったと認識しています。

日本にはすでにプロ野球があり、元々そういった職業で活躍されている方はいらっしゃいました。歴史的な背景を見るとマッサージやケアとしてのサポートの仕方が、日本の場合は始まりなので、今もそういう色は濃く残っていると思います。私もそうですが、マッサージの資格を持っている方が結構多いです。

柔道整復師だったり、理学療法士、鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師だったり、AT の資格だけ持っているという方はごくごくわずかだと思います。むしろ医療系の国家資格を持ちつつ、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(JSPO-AT)の資格を持っている方が大半を占めていると思います。

近年は、怪我をしてからケアをするという流れではなく、“障害を未然に防ぐ”、“外傷・障害を予防する”という方向へ変わってきているように感じます。選手のパフォーマンスを上げるという側面で関わる人も増え、仕事の幅が大きくなってきていますね。また、トレーナーもそれぞれの得意分野を活かした、より専門性が高い人達がチームにいるという状態です。現場がチームやクラブに必要な人材を選んでいるという感じがしています。

ラグビーの代表チームでも他の競技でも言えますが、外国人のトレーナー、コーチ指導者、メディカルスタッフ関わり、国際的に対応できるようにチームも変化をしてきている感覚があります。そういう意味では、お互いの文化の違いを知っておくことは今後必要になってくると思います。

競技スポーツ以外に目を向けると高齢化社会と言われているような時代なので、健康増進や疾病予防、健康増進に関わるトレーナーが増えて、メディカルフィットネス的なジャンルが広がりをみせています。競技スポーツだけにとらわれると厳しい面もあるので今後は視野を広げて、どこにどういう人が必要なのか見極めが必要だと思います。

トレーナーとしての想いややりがい

―――トレーナーをされている上で、大切にしていること、気をつけていることを教えてください。

井澤 様々なスポーツ競技のトレーナーを経験してきましたが、選手はみんなアスリートなので雰囲気的なものに違いがあるか聞かれると大きな違いはないと思います。ただ、そこに競技性が加わったり、例えばポジションがあったりすることで何となく違いはでてくるかもしれません。

個人競技はチームスポーツとはちょっと違う感覚でいます。選手は非常に繊細というか、感覚が鋭い面があると感じています。逆にそれがチームスポーツの選手ですと大雑把というか・・・もちろん、いい悪いは別です。

逆にそういう感覚でないとチームスポーツは大人数ですので様々な人と連携がとれないのかもしれないです。それからアスリート全般にいえいることですが、「自分が一番」というのはいい意味でも悪い意味でも持っていないといけない部分ではあると思います。僕らに対しても “自分だけを見てください”という一面を持っていると思っています。

ただトレーナーとして僕は、そういった部分を理解しつつ特定の選手だけにフォーカスしないように、選手と良い距離感を保つことを心掛けています。10人選手がいれば10人の考え方やパーソナリティーがありますので。例えば、選手から食事に誘われても一緒に行かないとか(笑) 自分の中にある変なこだわりを持っています。

もう一つ大切にしていることは“いつも通りやること”。例えば「ワールドカップだから~」という言葉を聞くと「それはどうなの?」と思ってしまいます。いつもワールドカップの気持ちをもってやればいいし、ワールドカップでもいつもの練習のようにやればいい、そう思います。これは大学4年生最後の試合で同級生が教えてくれた言葉です。

チームメイトが「最後だから頑張ろうぜ!」という言葉を発したのですが、彼は「“最後だから”頑張るのはおかしい。だったら最初からしっかりやればいいじゃないか」という言葉を発しました。まさにそうだなと思いました。それ以降その言葉がずっと心に残っています。「いつも通り」は、それから僕の一つのキーワードになっています。

―――井澤さんのキャリアの中で最高の経験や、この瞬間報われたなと思うことを教えてください。

井澤 報われたと思ったことはないのですが…(笑) それでも、チームが勝ってその場にいられることは当然嬉しいです。いつも思うのは、この勝利は僕の力だけではなくて。あくまで頑張ったのは選手だということです。それでも少しでも選手になにかいい影響を与えられたのなら、それは嬉しいと思っています。

一番嬉しかったことは…初めての現場でアメリカンフットボールのチームに帯同し、トレーナーとして仕事をさせてもらった時でしょうか。1999年の第1回IFAFアメリカンフットボール世界選手権に行くことができました。選手が決勝まで残って優勝したあの瞬間を現場で感じることができました。今でもあの時の興奮は忘れられないです。

すごく嬉しかったです。僕にとっては初めての海外遠征で、全てが初めての経験でした。これはトレーナーとしては良くないとは思うのですが、またそういう経験をしたくなってしまう、興奮を味わいたいと思ってしまう(笑)決してそれを感じたくてやっているわけではありませんが、その後も南アフリカで勝った時、日本大会でもそれ以上の興奮を味わうことができました。そういう意味で僕は本当に幸せ者です。

―――日本ラグビー代表の8年間を目の当たりにされ、チームが強くなっていった経緯はどこにあったと認識されますか。スタッフとして関わる中で感じたことをぜひ教えていただきたいです。

井澤 一番はハードワークではないかと思います。トップを知っている指導者が世界のスタンダードに近づけるためにどういう行動をしなければいけないのかをしっかり教えてくださったこと。例えば、エディーさんだったり、ジェイミーさんだったり。

「これでは勝てない」とその理由を理解されている人が指導をしてくれ、それに選手自身もついて行ったことですね。2012年にエディーさんがよく言っていたマインドセットですが、今でこそよく聞く言葉になりましたが、当時は聞き慣れない言葉でした。

『日本人はいい試合をしても称賛される。負けてもいい試合をしたら称賛されるところがあるけど、そうじゃない。世界に勝つためには負けてはだめだ』ということはよく言われていました。練習中もミスをしたら、日本人は「もう1回お願いします」と言うけれど、「試合ではその1回はない。だからやらない。」と言われ、やらないこともありました。

そういう『マインド』のところから選手を変えて指導する人が日本に来てくれたのはすごく大きかったかなと思います。選手たちにとってもやればやるだけ強くなる実感ができたと考えます。成績にも結果にも出ていましたし、みるみる体つきも変わっていきました。選手たちもそういうことを逃げずにやったことが大事だったと思います。

今、他の競技でもラグビーのように取り組まれているところがあるのではないでしょうか。例えば、ハンドボールの日本代表をニュースで見ましたが、なんとなくそういう雰囲気、感じを受けました。バスケットボールやバレーボールも同様です。日本はかつて強豪となり盛り上がった時代がありましたが、一度強くなると少し胡坐をかいてしまうところがあったのかもしれませんし、トップまでいったら、引き続き同じことをしていたら勝てるという想いがどこかにあったのではないでしょうか。

その結果、低迷してしまい「これじゃ勝てない」となり、色々なものを取り入れ、いままた少しずつ強くなってきている。選手も海外へ行って様々な経験をされています。様々な競技において良い流れができてきているのではないでしょうか。

そう考えると「ハードワーク」は欠かせないと思います。きついことから逃げたら駄目です。トレーニングで置き換えて考えても、ずっと同じ負荷でやるより、強度をどんどん上げていけば体も強化されていくわけで。そうしないと世界へは追いつけないのだと思います。

今後のスポーツ界・トレーナー界に期待すること

―――これからスポーツ界もしくはトレーナー界がこういう風に変わっていけばより発展していくのではないかということを教えてください。

井澤 国際的に活躍する人がもっと増えると良いなと思っています。世界は広いし、様々な選手がいて考え方がある。僕は海外のチームで仕事をしたことはありませんが、海外のコーチや指導者と接するなかでそれはすごく感じたことです。トレーナーも海外のメジャーリーグで活躍されている方や、ヨーロッパのサッカーへ行く方も少しずつ増えてきています。

ただ、残念ながらラグビーでは海外のチームで活躍されている指導者やトレーナーがまだいないのが現状です。サッカーは例えば東南アジアのチームに行っている指導者はいると思いますが、ヨーロッパのトップのカテゴリーで日本人コーチがいる話をあまり聞いたことがない。そういう方が増えてくるともっと日本のスポーツ界全体のレベルも上がると思います。

選手が海外へ行くことも大切ですが、コーチ陣、トレーナーを含め、全体的に海外で活躍する人が増えると日本のスポーツ界は国際的にもっとレベルが高くなると考えます。また、留学というと、僕らの頃ではトレーナーの勉強をするならアメリカに行くというのが普通でしたが、アメリカだけではなく、ヨーロッパやオセアニアなどへ留学して、そういうところでスポーツメディカルを学ぶ人もこれから増えてくるかもしれません。

公認アスレティックトレーナーというのはアメリカが発祥で、ヨーロッパやニュージーランド、オーストラリア、などでは『フィジオ』という方が一般的です。日本やアメリカのATと少し感覚が異なるのかなという気がします。どっちがいい悪いということではなく、そういう点も知っておいた方がいいかなと思います。

スポーツが盛り上がっている国にはスポーツ競技をサポートするスタッフの方も大勢います。ワールドカップのとき、ニュージーランド人が1人、メディカルスタッフで入りましたが、その人の働きぶりや、人となり、治療のテクニックを見ていると、こういう人達の元で勉強するっていうのもいいのかなと感じました。

―――これからアスレティックトレーナーを目指す学生さん対してメッセージや目標に向かうために必要なことを是非教えてください。

井澤 僕自身、なぜここまで来ることができたのかを振り返ると、ターニングポイントに必ずきっかけになる人がいました。例えばトレーナーになりたいと思った時には、トレーナーを実際にやっている人がテレビ画面上に出てきたりとか、実際トレーナーとして働きたいなと思っていた時も大学の先輩が声をかけてくれたりとか。

様々な人との出会いや繋がりで今があると本当に思っているので、どの世界でも人との繋がり、ご縁というのは大事にして頂きたいです。あと、これからスポーツの世界でなにかをしたいと考えているのなら、トレーナーに限らず、どういう人達がその仕事に関わっているのか、どういう仕事があるのか、そういったものを見るといいと思います。

例えばJリーグの試合だったら当然現場にいる選手、コーチ、トレーナー、マネージャーなど現場のスタッフがいる一方で、試合やリーグを運営する人たちもいるわけです。そういう人たちもいるということを知って、どういうことをしているのか全体を知るといいと思います。そういうことを知っていればスポーツに携わる時になにか役に立つものがあるはずです。

それを学生の間に見ておいた方が良いと考えます。例えば東京マラソンのボランティアを募集していたらやるのも一つかもしれないし、今回のオリンピックもそうですが、何かスポーツに関わることが大切です。トレーナーに限らずその場の空気や雰囲気を感じて欲しい。あとはもちろん勉強はしっかりやった方がいいかなと思います(笑)。

井澤さんのトレーナーとしてのビジョン

―――井澤さんのこれからのビジョンをぜひ教えて欲しいです。

井澤 今後もただ一つ、変わらないことは一生アスレティックトレーナーでいたいということです。形はどうであれ、これからもこの仕事に携わっていきたいと思っています。これまで30年近くこの仕事に携わり、本当に自分はすごく恵まれていました。休むことなく現場で走り続けたという感じです。

ただ、このコロナ禍で立ち止まらないといけなくなった時に、「自分はこれからどうするんだ?このまま一生現場に出られるのか?」と本気で考えました。若い人たちが一生懸命トレーナーになりたいと志を持って勉強をしている姿を目の当たりにしているので、自分がやってきた経験や知識をうまく還元にしたいと思っています。

自分がずっと現場に出ているわけにはいかないので。あとは資格があって取りたいと思っている学生さんがたくさん増えてきていますが、いざ資格をとってもなかなか仕事がない。それでは本末転倒なので、そこをなんとかしてあげたいです。

これはもう理想の話ではありますが学校現場についても、もう少しATが入っていけないかなと常々思っています。学校に保健室の先生がいるようにATが1人いれば何か課外活動で事故が起きた時にもきちんと対応できるし重大な事故の予防など策を講じられるとかできると思いますし、なにより今後、学生の未来に繋がる職業になれるようにしなければいけないと思いっていますので、そういう取り組みになにかしら携わっていきたいです。

自分自身もまだまだ模索中で、「こんなことできたらいいな」「あんなことできたらいいな」といつも考えています。ハードルは高いですが、少しずつ色々な人と相談しながら実現していきたいです。

プロフィール

井澤 秀典(いざわ ひでのり)

1971(S46)年8月3日生まれ
千葉県立 検見川高校 卒
順天堂大学 体育学部 卒
国際鍼灸専門学校 卒
(公財)日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
鍼灸師・按摩マッサージ指圧師

トレーナー歴
94年~00年: アメリカンフットボールXリーグ 鹿島ディアーズ
99年:第一回アメリカンフットボールワールドカップ 日本代表
00年~04年:バレーボールVリーグ デンソーエアリービーズ
04年~08年:サッカーJリーグ 東京ヴェルディ
09年~20年:ドームアスリートハウスリカバリースペシャリスト
12年〜20年:ラグビー日本代表ヘッドトレーナー
20年~:順天堂大学スポーツ健康科学部非常勤講師

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