インタビュー

サンロッカーズ渋谷で活躍中のユースディレクター ~松岡亮太さん~

大分ヒートデビルズ時代、運営会社の倒産から新たな立ち上げまで携わってきた松岡亮太さん。過去のお話や現職のサンロッカーズ渋谷の現場について取材しました。バックアスリートを目指す私たちにとって必要なものが見えてきます。

僕は勉強が得意ではなく、声を掛けてもらえるまで通訳は考えたことがありませんでした

―――バスケットボール業界でお仕事をされるようになったきっかけを教えてください。

バスケットボールが好きでこの業界で働きたいとは思っていましたが、「選手にはなれないな」と中学生のときには悟っていました。今の仕事に就いたきっかけは『月刊HOOP』という雑誌を通じて安永淳一さん(現・琉球ゴールデンキングスGM)の存在を知ったことです。

当時、安永さんは、NBAのニュージャージ・ネッツ(現・ブルックリン・ネッツ)のフロントスタッフとしてご活躍されており、恐らく当時はNBAのフロントオフィスで働く唯一の日本人だったと思います。雑誌を読み、日本人でもNBAで働けることを知り、僕の進路が決まりました。

安永さんに直接連絡し、何度かアドバイスをもらうことがあり、交流を続けました。それが中学生の時です。それから高校生活を送るうちに、「もしアメリカの大学に行ったら向こうでNBAチームに就職できるのかな」という考えに至りましたが、そんなに学力も言語力もありません。

色々と考えて、高校卒業後は英語だけ日本で勉強するために、人生を逆算して国際的な大学に進みました。

―――立命館アジア太平洋大学で勉学に励み、その後大分ヒートデビルズで通訳に就かれていますが、そこにはどのような経緯があったのでしょうか?

僕はご縁があって、大学1年生の頃から大分ヒートデビルズのテーブルオフィシャルズをしていました。試合の時だけのアルバイトです。当初は一般企業への就職活動しながらできるだけ貯金して、なるべく早く会社を辞めて(笑)海外に留学する計画でしたが、大学4年生の時に転機がありました。

突然、大分ヒートデビルズの通訳のスポットが空いたため、声を掛けてもらえたのです。その時、僕の選択肢は2つでした。ひとつは、計画していた通りに一般企業に働きながら貯金し、お金が貯まれば仕事を辞めて海外へ留学すること。

もうひとつは、海外留学を諦めて日本のプロバスケットボールの世界に本格的に入ることです。僕は、アルバイトの現場で実際にプロのバスケットボールを見ながら、この業界は入ることが難しい世界だということを感じていました。

アルバイトを通じて多くのチームやリーグの方々と接する中でそう思っていたので、「とりあえず入ったらあとは何とかなるか」と考え、人並みレベルの英語力で在学中に通訳を引き受けてしまいました(笑)

―――それでは通訳からなぜGMに就かれたのでしょうか。その経緯も少しお伺いしてもよろしいでしょうか。

大分ヒートデビルズの通訳をはじめて2年目のシーズン途中に、会社が倒産したことが起因しています。2012年のある朝、突然全社員、コーチ、選手が会社に集められました。

日本人選手も外国籍選手も「給料遅延という話をされるのかな」と思いながら事務所に集まったのですが、そこで言われたことが「もう給料が払えなくなりました。会社が倒産します」でした。それからいろいろなことがありましたね。もちろん外国籍選手も納得しませんでしたし、大変な事態になりました。笑

当時、bjリーグには万一の際に備えた基金のようなシステムがあり、シーズン中にチームが消滅すると多くのチームに迷惑をかけてしまう背景から、その基金をお借りするような形でシーズン中に経営破綻した会社からリーグ保有の一般社団法人にチームの運営権が譲渡され、残りのシーズンを消化する必要がありました。

その際に、東京に本社を置くbjリーグの人以外に誰か現場で仕切る人が必要だということになったそうです。当時bjリーグの専務取締役だった阿部達也さん(現・大阪エヴェッサGM)が大分ヒートデビルズの代表を務めることになり、阿部さんと前社長が話し合った結果、なぜか最年少の僕が指名されGMを任されることになりました。

当時23歳で、最初の仕事はテレビや報道陣の前でシーズン中の経営破綻に関する謝罪会見に阿部さんと出席したことでした。

友人から「お前はいいな、まだ勝ち負けで一喜一憂できるなんて」と言われます。僕たちにとって、勝ち負けは日常茶飯事です(笑)

―――大分ヒートデビルズから2015年に日立サンロッカーズ東京(現・サンロッカーズ渋谷)のマネージャー兼通訳として入団されて、現在はユースディレクターとしてご活躍ですが、どのような活動をされているのか、ぜひ教えてください。

僕の場合は、ユースディレクターだけに特化しているだけではありません。GMの元でトップチームの編成や選手のリクルート、チームの運営にも携わらせて貰ってます。毎日スケジュールは異なりますが、基本的に日中は会社に行って、事務作業をしていることが多いです。

あとは外国籍選手の編成も携わっていますので、コロナ前は海外で様々な試合を視察に行ったりしており、今は年間を通じて日本から海外の試合もチェックしています。

ユースディレクターという役割に関していえば、日中はコーチや関係団体とミーティングしたり練習視察、週末は小学生、中学生、高校生の練習や試合を見ています。ほかにも大学生の試合を視察しに行ったりトップチームの試合に行ったりなど、毎日どこかの体育館にはいます。

例えば、ある日のスケジュールを説明すると、日中はトップチームの拠点で仕事をし、夜はU18の練習。翌日は会社に出て、ユースのコーチたちとミーティング、終わったらU15の練習へ行くなどですね。

―――U15、U18の練習に行くとのことですが、コーチはまた別にいらっしゃると思います。松岡さんはどういった立ち位置で関わられていますか。

そうですね、基本的に現場はコーチに任せようと思っているので、練習は週1ぐらいしか行っていません。どの選手にも一貫して伝えていることは「サンロッカーズ渋谷の選手として、どうあるべきか」人間性についての話をしています。

僕の仕事はチームの基礎を作ることなので、様々なバックグラウンドを持つコーチやスタッフ陣とコミュニケーションをとり、トップチームを含めた一貫した強化方針のもとに、各カテゴリーのコーチがその年代に合った指導を展開しています。

さらに、進路の話をしたり、コーチたちと遠征や合宿についての計画を練ったり、協会と連携し大会運営したり、有望な選手をリクルートしたり…と仕事は多岐に渡ります。

やりがいは何かと聞かれると、今はもう「生活=バスケットボール」なので、難しいですね。僕は人生で2回会社が倒産して、給与遅延に遭いました。2015年にサンロッカーズ渋谷(当時は日立サンロッカーズ)に来る直前2カ月前までコンビニエンスストアのアルバイトを掛け持ちしていたこともあります。

苦しい時代もありましたが、バスケットボールが大きく変化する時代に僕はbjリーグ、NBL、そしてBリーグと全部を経験してきました。それはすごく幸せだなと思いますし、もっともっとバスケットが大きくなっていけば嬉しいなということしかありません。

それが一番で、やりがいと考えるなら「バスケットボールが好きだからこそ」だと思います。

僕たちが見てきたもの、感じてきたことは人により違う。それを集約して子どもたちに教えたい

―――現在の中学生~高校生のスポーツには「部活」と「ユース」、2つがあります。最近では、部活動が衰退しているとも言われていますが、バスケットボールの現状はどのように考えられますか?

個人の考えですが、中学生世代(U15)のバスケットボールの盛り上がりを見ると、Bクラブのユースチームは年々確実に大きくなってきており、競技力も上がっています。

特にこの世代では「チームの勝敗=成功・失敗」を一概に結びつけるのも難しい中で、選手を育成するという意味で卒業していった選手の活躍を見ても間違ってなかったなと思うことが多々あります。

一方で、バスケットボールに限らず、今は「部活動のあり方」や「学校における働き方改革」などをよく耳にすることがあるので、今後どのように変化していくかはまだ何とも言えません。

学校部活もBクラブのユースも、地域のクラブチームもそれぞれ三者三様だと思っています。ただ、Bクラブのユースの名前を聞くことがほとんどなかった5年前に今の状況はいい意味で全く想像していませんでしたので、Bクラブ全体としてユースは確実に正しい方向に進んでいると感じています。

一方で高校生世代(U18)については、まだまだ世間的にも認知される必要があると感じています。サンロッカーズ渋谷では2021年に新たにU18を設立し、今年が2年目になりますが、今時点での知名度や競技力はまだまだ全国の強豪校には勝てない部分があると感じています。

僕自身も含めてユースに関わるスタッフの全員が「高校部活」出身ではありますが、ユースは一般的な部活動と一線を画しており、選手たちを「いかに上のカテゴリーで活躍させるか」を目的で行っています。

発展途上ではありますが、数年前に今のU15を想像できなかったように、BクラブのU18には大きなポテンシャルを秘めているので、近い将来がとても楽しみです。

―――お仕事をする上で、留意していることや大切にしていることを教えてください。

ユースに携わるようになってから特に思うようになったことですが、自分自身が目標や夢を持ち続けることですね。浮かない気持ちで仕事をしても、それなりにこなせますが、スポーツの世界では一人の感情や表情ですごく周りに与える影響が変わってきます。

特に子どもたちと接する場合は「自分のネガティブな気持ちを持ち込まない」こと。これはとても大事なことです。それは大人の世界でも同じで「負」はすぐ伝染するので、ポジティブな環境を作り出すようにしています。

過去を振り返ると大分ヒートデビルズでもいろいろありました。しかし、弱くて勝てないチームで、お金を満足に払ってもらえなくても、今思えば全員が同じ方向を向いた良いチームだったなと思います。

サンロッカーズ渋谷に来てから、ユースの立ち上げを行うまでの3シーズンは日本のトップリーグでエリートと言われる選手やスタッフの方々と一緒にお仕事をし、また違った世界でたくさんのことを経験させてもらいました。

これらの経験から現在、ディレクターを務めさせてもらっているユースチームで一緒に働いているコーチは皆、バックグラウンドが違う方ばかりです。その理由は、ひとつの考えに固執しないようにするためです。

僕はありがたいことですが、プロリーグの世界しか知らないので、そういう人間ばかりになると考え方も狭くなってしまうと考えました。そのため、うちのコーチたちの顔ぶれは年齢層もバックグラウンドもさまざまです。

僕たちがユース世代の頃、今のユース制度はありませんでした。そのため、僕たちは自分たちの経験談でしか指導できません。そして学校の先生ではありませんが、一方でバスケットボールの知識だけ教えるというのも少し違うと思います。

僕自身、プロ選手としての経験があるわけではありませんが、多くの選手やコーチに囲まれる中で「自分たちが見てきたもの」、「感じてきたもの」は人により違います。それを集約して子どもたちに教えたいと思っています。

振り返ると11年、組織作りに携わっています。大変ですが、そこに楽しさを感じています

―――松岡さんにとって、やって良かったことや、感動したエピソードを教えてください。

やって良かったことは、昨年、縁があってオリンピックのバスケットボールに関われたことです。自国開催の五輪で、本当に貴重な経験させてもらったなと思っています。

昨年の夏、1カ月くらいでしたが、バスケットボール競技の公式練習会場で運営責任者(スーパーバイザー)として働く機会を頂き、各国の男女代表チームの練習スケジュール調整や現場での対応をさせて頂きました。

毎日のように各国の選手たちと会えたことも貴重な経験でしたが、それよりも大勢の人たちでひとつのものを作った経験は特別な思い出です。

特に100名を超えるボランティアの方々や組織員会、電通をはじめとした多くの方々とはほぼ全員が「初めまして」という状態な中で、その人たちと一緒に、毎日ああだこうだ言いながら、どうやったら「選手にとって一番いい環境を作れるか」を一緒に考えて、朝から夜中まで働き詰めでした。

そして、本戦で活躍する選手たちをみて嬉しい気持ちになりましたし、何よりも参加したボランティアの皆さんが「本当に配属がここでよかった。楽しいボランティア活動でした」といってくれたことが僕にとって、とてもとても大きな経験でした。

―――いまのお話を聞いて松岡さんは、なにかを成し遂げることでエネルギーを得たり、逆に使ったりされているという印象を受けました。チームの一体感、もしくは目標を決めて成し遂げることなど、どの点を重要視されているのでしょうか?

そうですね。人により大切にしていることは違いますが、僕は最初、小中高校生のバスケットボールの世界に興味があったわけではありませんでした。僕は、あまりたくさんのことをできる器用なタイプではありません。

どちらかというとひとつのことにフォーカスして、成し遂げたいなと思っています。そのため、大分ヒートデビルズのときも経営破綻後にマイナスからスタートし、翌シーズンにゼロから会社の立ち上げに関われたことが大きな経験となって今に生かされています。

そして2018年にトップチームのスタッフを退きユースの立ち上げに携わりたいと思ったのも、0からのスタートだったからということが大きいと思います。

2016年にBリーグになってユースをリーグの規定の中で運営しなければならなかったこと、その当時サンロッカーズ渋谷にはユースどころかバスケットボールスクールすらもありませんでした。だからこそ、そこから何かを立ち上げるその全てが自分にとって絶対いい経験になると思いましたね。

―――活躍されている選手のエピソードを教えてください。

サンロッカーズ渋谷:西 私が松岡さんとお仕事をして、印象に残っているのは高橋昌也選手のエピソードです。彼のように海外に挑戦し、活躍している子を輩出していくことはこの仕事の醍醐味だと思います。

ユースが始まって1年ではありますが、Bリーグが始まった段階で既にサンロッカーズ渋谷から海外で活躍する選手が輩出できたことは、私たちの強みです。そして、松岡さんがやってこられたなかでも大きい出来事だったのではないでしょうか。

 

そうですね。高橋昌也選手はU15に所属していた選手です。彼は「アメリカでバスケットボールをしたい」という、気持ちが本当に強かったなと思います。僕も結構そういう点では負けることはあまりないですが、彼の熱量は群を抜いていました。

「これ」と言ったら貫き通すような子です。ご両親、家族、スタッフのバックアップ、夢を応援する方々のサポートを受け、彼は渡米しました。米フロリダ州でも名門のモンテバード・アカデミーに1年間留学し、現在はボストン近郊ウィンチェンドンの高校でプレーをしています。

今年が最終年度になるので、あと1年留学したら来年は大学に入学すると思います。

彼は2020年11月の冬休み、コロナウイルスの影響で寮からの退去を指示され、日本にも戻れない状態になったことがありました。困ったときに、元サンロッカーズ渋谷のロバート・サクレ選手が「俺の家に泊まりに来ればいい」と、声を掛けてくれました。

実はそれまで昌也君とサクレ選手に交流はありませんでした。サンロッカーズ渋谷の元選手で、ユースだったという共通点だけです。それにも関わらず、現地で力を貸してくれたのです。

こうして引退した選手や、サンロッカーズ渋谷でプレーした選手たちが現地で後輩を助けてくれる。これは本当にいい話だなと思います。サクレ選手が助けてくれたのは、きっと日本で過ごした時間が良い思い出になっているからではないでしょうか。そういう交流がこれからも続いていけば嬉しいなと思います。

バスケットボール業界は大きく成長している。だからこそ、働きやすい環境になることを願っています

―――これからのスポーツ業界に期待することをぜひ教えてください。

僕が学生の頃、日本のスポーツ業界への就職に違和感を覚えたことがあります。例えば一般的な就職活動で利用する求人サイトで、エントリーしたくてもコンテンツの『業種』や『職種』のくくりに「スポーツ」がありません。

営業や建設は業種として選択できるのに『スポーツ』という業種がありませんでした。これが世間の評価なのかと考えると現実を感じましたし、とても違和感を感じました。

今はどうかわかりませんが、つい10年ほど前はスポーツ業界を志望している学生の就職・転職先を探す方法は専用の求人サイトに限られていたと思います。もっと他業種と同じようにスポーツ業界の求人も一般的に目にする機会が増えてもいいのではないかとおもいます。

バスケットボールという競技が成長しているなか、スポーツ業界自体がもっと入りやすい業界になってほしい、誰もが働ける環境であればいいなと願っています。

―――バックアスリートを目指す上で、大切にした方が良いことがあれば、ぜひ教えてください。

一般的企業の定時でいうと、9時~17時で働いて、土日が休みだと思いますが、僕たちの仕事はそうではありません。昔に比べたらバスケットボールの世界は格段に大きくなり、兼務されていたような業務内容が専門性を追及されて1つの業種として独立したり、数年前には考えられなかった業種が誕生し、それだけで生計を建てられるようなところまでになりました。

よく学生に「どうやったらスポーツの世界で働けますか?」と相談を受けますが、「君にお金をかけてまでチームに来てほしいと思わせる理由、武器を1個作りなさい」という話をしています。例えば、英語が話せることもひとつの大きな武器だと思います。

僕もそれがあったからプロのバスケットボール業界の門を通れました。英語以外にも、インターンの経験がある、留学や社会人経験がある、車の免許を持っている、動画編集ができる、救命救急ライセンス、審判ライセンス、コーチライセンスを持っていることも、なんなら誰にも負けない情熱や強い意志を持っていることも立派な武器と言えます。

可能性はどこにでもあり、どこで生かせるかわかりません。現場で働きたい子が多い中で、「君の武器はなに?」とよく学生に質問しています。まだまだ一般的な大企業のように新卒採用を積極的に行い、1から社員研修をやって…という規模にはなっていないので、年齢にかかわらず今すぐ通用する武器が必要だと感じています。

そしてもうひとつは、ユースチームの入団希望の選手には、「他にもユースはあるのに、なぜサンロッカーズ渋谷を選んだのか」理由も必ず聞いています。これは正解がありませんが、我々がスポーツの世界で働く中でも、その理由が大切だと思っています。

―――松岡さんの今後のビジョンをぜひ教えてください。

僕は幸運なことに、bjリーグ、NBL、B1リーグということで3つ、どん底からトップクラスまで経験させてもらえました。今はそれらの経験をもとに、こうしてユース年代にも関わっているので、自分なりの方法でクラブの発展に貢献したり、選手たちに色んな経験をしてほしいと思います。その1つがサンロッカーズと海外を繋ぐことだと思っています。

僕自身は英語のおかげで見ている世界、人生が変わりました。もしかしたら、うちのプロ選手が海外に挑戦すると言ってくれるかもしれないし、ユースの子たちがそう言うかもしれない。

逆に海外のトップクラスの選手がサンロッカーズ渋谷に来てくれるかもしれません。やっぱり僕が「英語」というひとつのツールで見る世界だったり、関わる人だったりが大きく広がったので、その経験を共有し、そこに携われることが個人的にも大きなビジョンだと思います。

これから羽ばたいていく人材を出すこと、そのためのパイプや環境をつくること、そして受け入れる環境も作ること。留学したいという夢は果たせませんでしたが、留学せずして身につけた英語力のおかげで今の自分があります。僕を大分から拾ってくれたサンロッカーズへの恩返しと、ユースの選手のためにやれることは何でもやっていきたいと思っています。

バスケットボールを続けコートに立ち続ける~井手口孝さん~

バスケットボールのビデオコーディネーターとして働く~今野駿さん~

プロフィール

ディレクター
松岡 亮太

 

生年月日:1989年4月22日
出身地:大阪府
出身校:立命館アジア太平洋大学
経歴:

  •  2011-2012 大分ヒートデビルズ(bjリーグ)通訳
  •  2012-2014 大分ヒートデビルズ(bjリーグ)GM
  •  2014-2015 大分ヒートデビルズ(TKbjリーグ)GM
  •  2015-2016 日立サンロッカーズ東京(NBL)マネージャー兼通訳
  •  2016-2018 サンロッカーズ渋谷(Bリーグ B1)マネージャー
  •  2018-2020 サンロッカーズ渋谷(Bリーグ B1)ユースマネージャー
  •  2021-   サンロッカーズ渋谷(Bリーグ B1)ユースディレクター

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