インタビュー

パラスポーツのパイオニアとしてボーダレスな社会を目指して~塩家吹雪さん~

「子どもたちとの活動には基本、休みがないと思っています。指導して欲しいと子どもたちに言われたら応えてあげられるような余裕がある指導をしていきたいです」。障がいの有無に関わらず、子どもたちに常に寄り添い、支える塩家吹雪さん。「障がいは一つの個性」その熱い想いを語っていただきます。

パラスポーツ(障がい者スポーツ)での活動

―――どういった形で活動されているか、事業形態を教えてください。

塩家 現在、本拠地は千葉県千葉市美浜区幸町というところで、特定非営利活動法人シオヤレクリエーションクラブ(SRC)を運営しています。年齢や障がいの有無は関係なく、誰もが参加できる「かけっこ教室」から「ユース陸上教室」、「ランニングクリニック」、レクリエーションの活動まで行っています。

基本的には関東(千葉、東京、神奈川)が指導のエリアです。広島にも選手が一人所属していますが、直接指導は少なく、メニューを送って練習するかたちをとっています。あとは大阪にもコーチが1人いて、週1回、2回は必ず指導をするようにしています。どこのクラブも例えばかけっこ教室をやるにしても健常者が優位になったり、その逆だったりします。

どちらかに偏りがちです。障がいがあることよりも単純にかけっこが好きで来ているのだから、かけっこを教えればいいと思っています。どちらの立場も尊重した組織作りを目指し、運営しています。

これまでの活動の経緯

―――幅広く活動されている印象ですが、今に至るまでの経緯を教えてください。

塩家 僕は、2000年のシドニーオリンピック・パラリンピックの前の年に、現役を終えましたが、まだ陸上に関わっていたい、マスターズ陸上で何かをしていこうと考え、健常者だけの陸上チーム(AC・KITA)を立ち上げ活動していました。その時にたまたま声掛けをした選手が、現在、愛媛県松山市の視覚特別支援学校の先生をしている矢野です。

彼は進行性の視覚障がいを持っていて、「自分はいずれ全盲になる。そうなると一人では走れないから、伴走が必要になり、皆に迷惑をかけてしまう」と気にしていましたが、僕は全然構わないと、チームに入れ、2004年にはアテネで伴走しました。今は当たり前ですが、それまでは、障がい者が健常者のところへ入って本気でパラリンピックを狙う人はいませんでしたね。

一般の大会に出られるよう、まずは日本陸上競技連盟に交渉して認めてもらうところからはじまり、県の選手権大会に伴走者として参加しました。他にも7人決勝にしてもらったこともあります。8人選手がいたら4:4にしてタイムレースにしたことや、他にも、短距離種目はクラウチングスタートがルールになっていますが、脳性まひの選手は自分の手で支えることができないので、日本陸連にお願いし、スタンディングスタートでも走れるように許可してもらいました。

これまでのことを振り返れば全てありえないことだったと思います。義足の選手に対して、「義足が外れたらどうするんだ」とか、視覚障がいの選手は伴走で紐を持って走りますが、「紐が外れたらどうするんだ」とか、「一人で走っていて、健常者の人にぶつかったらどうするんだ」など、そういうことばかり言われてきました。

そこから僕が先頭になって障がい者の競技環境を整える活動をするようになり、周囲から徐々に認めていただけるようになりました。僕がそういった活動を知ったパラリンピックを目指している選手(車椅子から義足、視覚障がいなどの選手)が、どんどんチームに集まってきました。走高跳びの鈴木徹選手もその一人で、プロになる前に単独でうちのチームに来て、一緒にアテネパラリンピックに出場しています。

 

―――パラ陸上のパイオニアという言葉はまさしくピッタリと感じます。

塩家 パイオニアというか、確かに今の選手たちのきっかけにはなれたかなと思います。私の座右の銘ですが、『子どもたちの笑顔に障がいの有無は関係ない』といつも思っています。障がいを持っていたって笑いますし、逆に障がいを持っていなくたって怒ったりするのも一緒です。今はもう当たり前に一般の大会にも出られるようになったことは嬉しく思っています。

長く活動を続けていて気がついたのが、パラアスリートにはスポンサーがつき、周りの環境が整えられていますが、障がいをもっている子どもたちにはきっかけがなければ大会にも出ることができないのではないか、そもそも、誰が教えているのだろうと素朴に思いました。ちょうどそんな時、当時働いていた職場の同僚が「お客様の子どもが生まれつき全盲で、走ることを教えてくれる指導者を探している」と連絡をくれました。

2012年頃で、ロンドンパラリンピック日本選手団のコーチをしていたので相談をしてくれたのですが、僕もなんとかしてあげたい想いがあり、2つ返事で指導を引き受けました。また、ロンドンへ行った時に見た光景もきっかけの一つとしてありました。ロンドンでは、普通に障がいの子たちも健常の子たちと一緒になって遊んでいたり、スタンドから応援していたり温かい雰囲気がありました。その当時の日本には絶対ない光景です。

当時はまだNPOになる前の「塩家ランニングクラブ」という小さなクラブでしたが、ロンドンから帰った後、クラブに視覚障がいの子どもたちが4、5人入ってきたのを見て、この子どもたちを一般の大会に出してみたら面白いんじゃないかと思いました。大人は健常者の大会に出場することができるようになりましたが、子どもたちはまだ出場できませんでした。そこで、ロンドンパラリンピックの時に一緒に伴走した2人と、アテネパラリンピックの時に伴走をした2人を呼び、子どもたち4人の伴走をしてもらい、日本で初めて障がいの子どもたちが健常の子の大会で走ることを実現しました。

最初は距離を感じるのではないかと思っていましたが、実際は大会に出場してる他の子どもたちも一緒になって、「頑張れー!」と応援してくれました。日本もまんざらじゃないなと思いましたね。これは続けてやるべきだなと思い、そこからどのタイミングで会社を辞めて本業にしようと考え始めました。その2年後、ご縁があって千葉の方でもやってもらえないかということで、かけっこ教室をはじめたら知的障がいや発たち障がいの子たちがたくさん入ってきて、気がついたら40人ぐらいになりました。

これは片手間でやっていたら子どもたちにも失礼だろうと思い、会社を辞め、2016年4月1日に法人化しました。

パラスポーツ(障がい者スポーツ)への想い

―――お仕事をされている上で、やりがいをぜひお話しいただきたいです。

塩家 今の子どもたちは、心の底から発散する時間がすごく少ないと思います。コロナ禍になって、感じるのは、声を出しちゃいけないとか、自分を出しちゃいけないような、なにか抑えられているということです。子どもたちの保護者と話していると、「楽しいってことがひとつも無くなった」ということを聞きます。このままでは、子どもたちに笑顔が無くなってしまう。自殺を知らない子たちも生きていくことに失望してしまって“子どもらしさ”という本来の形が廃っていくと思います。

そういう中で、うちの活動を通じて、子どもたちの笑顔がすごく増えることは嬉しいです。他のクラブでは、なかなかないと思いますが、障がいの子と障がいのない子、お母さん同士もすごく仲良しです。障がいの子のお母さんが、健常の子を叱ったり、逆にその反対もあったりします。だからもう、『障がい』という言葉はふさわしくないと感じています。

これは『個性』として、それぞれを見ながら、かけっこを通じて子どもたちを成長させていきたいともいます。最近も、自閉症で競争心がなかった子が、隣を走る子に負けたくないと、横を気にしながら一生懸命走るようになりました。学校の先生でもここまで子どもたちの成長を心から喜べるシーンは見られないと思います。それを一番近いところで見られることが喜びです。

―――今、大切にされていることや留意されているところがありましたら教えてください。

塩家 例えば、10人いたら必ず10人に声をかけるということです。スポーツ界の現状は、指導者のほとんどが強い選手ばかりに指導しがちです。二番手、三番手の子たちの方が実は伸びしろがあったりするので、しっかり目を向け、一人ひとりに声を掛けてまわります。そこは意識をするようにと、全員共通してコーチ陣には指導をしています。これは何かのきっかけになればと思いますが、前回の緊急事態宣言の時に、スポーツ関係も含めて約1ヶ月半、完全に外へ行く機会が止まった時期がありました。

同時に、毎週末にずっと陸上教室に参加していた子たちが、学校も休校になり、体を動かすことが一瞬にしてゼロになりました。私たちはそれではいけないと、緊急事態宣言の3日後にオンラインレッスンをスタートしました。そこで、子どもたちや保護者の方と画面を通じて会毎日のように会話を続けていました。そこから1ヶ月、1日も休みなしです(笑) 45日間、多い時は1日7時間ぐらい画面を見て過ごしていました。

緊急事態宣言が終了後、外で対面指導をするようになると、今まで月1、2回しか来なかった子たちが、月5回や10回、来るようになっていました。その時、これはオンラインの効果かなとスタッフと話をしましたね。コミュニケーションが多くなると子どもたちはクラブを辞めたりしなくなるということを凄く感じました。

やっぱり子どもが辞めてしまったり、来る回数が少なくなったりするのは、コミュニケーション不足かなと感じているので、出来る限り子どもたちに声を掛けること。それは、今よりも更にレベルアップする意味でも本当に重点課題だと思っています。

―――最高な経験や、感動されたエピソードを教えていただきたいです。

塩家 パラリンピックの舞台に伴走者としてで立ち、何万人もの前で走る機会は、なかなか無いことです。僕も全日本の大会に何度か出ていましたが、陸上関係者しかいないですし、万単位で競技場のスタンドに人がいるという経験をそれまでしたことがなかったです。

きっかけがあり、伴走をはじめて、日本の代表として世界の舞台に立つお手伝いができたということは、今の仕事をする上で力になっています。また、一番の思い出は、ある小学6年生の男の子のエピソードです。最初は1年生でかけっこ教室からはじめ、今は競技力アップコースに週1回参加し、記録を目指して走っています。彼は多動性障がいもあり、お母さんも色んなクラブへ行きましたが、みんな断られていたそうです。丸2年間探してうちのクラブに来ました。その子が、6年生の最後に、東京の駒沢競技場での大会に出て走ったときは感動しました。

周りには障がいのを持った子は一人もいなくて、彼だけでしたが、その時、800メートルトラック2周をちゃんと走り抜きました。胸が熱くなりましたね。まっすぐ走れず左右に行ったりしていた頃からみていたので、本当にやってきてよかったなと思いました。できないままにしないで、最後までしっかり見届けてあげれば、健常者と同じようにこの子たちもできるということを、彼が僕に教えてくれました。

ゴールする時も、最後まで見ていたスタンドの人たちも拍手をして迎えてくれて。彼も、それに応えて手をあげて帰ってきました。堂々としていましたよ。僕の原動力は、子どもたちの笑顔です。ゴールをした時のあの笑顔を思い出すと「俺はまだまだ努力が足りないな」と思います。彼は本当にそれまでよく頑張っていたので。

今後のスポーツ界に期待したいこと

―――これからのスポーツ界に期待したいことはどんなことですか。

塩家 東京でのオリンピック・パラリンピックの開催有無の影響は大きいと思っています。オリンピックに関わる現役の陸上選手や、引退された選手たちとの交流があり、色々話をする機会が多いのですが、彼らのようにトップアスリート全てが、東京オリンピック・パラリンピックが終わった後も継続して活動できるかというのは凄く疑問です。

新型コロナウイルスの影響で延期や中止になると、これまでパラリンピックについても盛り上がってきて、少しでも近づいて、何か光が見えていたのに、これが一気に崩れてしまうのではないかと懸念しています。今後、求めるとすれば、海外ではオリンピックの金メダリストがパラリンピックの日本代表のコーチを務めるなどという事例がありますが、日本もトップアスリートがパラの世界へ入り込んできて、全国各地にいるパラリンピックを目指す選手達の育成や強化に携わって欲しいということです。

先日、20年来の付き合いになるタレントの武井壮さんとうちのクラブの全盲ランナーが100mで勝負するという企画をTV番組でやりました。パラリンピックが中止になったら、こういった番組もなくなってしまうのではないでしょうか。やはりネームバリューのある人たちが僕たちの活動を一緒にサポートしていただきながら、全国展開していくご協力をいただければ、もっと広がっていくと思っているので、そういう方が少しでもパラの世界に入って来ていただけるような期待をしています。

―――選手強化からいまの育成現場に至り、それぞれやりがいは違いますか。

塩家 そうですね。アスリートは金メダルを取れとか勝利至上主義ですが、子どもたちは全く反対なので、それぞれ別のやりがいを感じています。かけっこを通じて子どもたちに「こんなことができたよ」ということを増やしてあげたい。今はコミュニケーションが足りないです。これでは面白くない。やっぱり友だちが増えて、自分が成長できることが、生きていく楽しみの中でも一番重要だと思います。

そうするためにも受け皿を広げることが大切だと思っています。もちろんパラリンピックの指導も継続して活動していきますが、日の丸を胸につけるところに特化しているよりは、底辺を拡大しながらその中で強い選手が出たらどんどん上にあげてくことをしていきたいです。

そのためにも、「真ん中(ユース世代)」をしっかりやりたいですよね。新しい選手を掘り起こしたはいいけど、「あの選手、最近みないけど、どうしているんだろう?」ということが多いです。真ん中の選手に時間とお金かけてトップ選手を育て上げる組織作りができていないと思っています。これでは選手は育たないですよね。そこが海外との差になっているのではないでしょうか。

トップアスリートだけに予算をつけるのでなく、「真ん中の選手」にもつけて欲しい。僕は1人の金メダリストよりも10人の銅メダリストの方がいいと思っています。そうすれば次に繋がります。今の日本の現状では、一人の金メダリストがいなくなれば次の人がいなくなる。僕と目指しているところが全然違います。

ボーダレスな考え方を日本の教育へ

―――塩家さんのように団体で活動されているところは、全国的に少ないのでしょうか。

塩家 この活動を始めて20年経ち、法人としてはじめてから今年3月で5年目になります。健常児・者の中に、障がい児・者が少しいるとか、逆に障がい児・者の中に少し健常児・者がいるような団体はあるかもしれませんが、両方で運営されているところはないです。

うちのは、55%ぐらいが障がい児・者で、45%ぐらいが健常児・者。ほぼ同じぐらいの割合です。先日、有名な大きいクラブから、たらい回しにされ、体験に来られた方を対応しました。「障がい」という一つの個性の所だけをみて断られて、たらい回しにされる。

それは親御さんの気持ちになって考えたらやはり辛いことです。僕が言いたいのは、「できない範囲だから」と丸投げするのではなく、できるコーチに声をかけて一緒に活動しようとか、タイアップをすれば、そこで一緒にできるはずです。そうなれば、既に障がいのある会員がいるので同じようなたらい回しは起こりません。クラブの会員が増えることは僕たちにとっては良いことですが、でも本来はそういうことじゃダメですよね。それに1,000人~2,000人が来たら対応できないです。

それぞれが間口を広げて、少しずつでも活動をしていけば、こういったことはなくなります。

―――健常者と障がい者の両輪でまわしているクラブがない要因はどこにあると考えますか。

塩家 付き合いが長いコーチに、聞いてみたことがあります。理由は、「何かあった時が怖い」と言います。実際は、何もないです。なかには、内部障がいやペースメーカーを入れたりしている人もいらっしゃるかもしれませんが、それは入会する際に契約事項として『トレーニングに関わらないところでの疾病に関しては、責任を負いかねます』など決まりを作ればいいことで、関所みたいにそこで止める必要はないわけです。

僕は、皆さんが怖がるようなことではないと思っています。むしろ、逆に相乗効果になっていく部分の方が大きいかなと思っていますが、なかなか進まないですよね。障がい者だけとか健常者だけに特化しないで、一緒に活動できる場を心の底から色々広げていきたいので、是非、興味のある方はうちのクラブに声をかけていただきたいです。

指導スキルは教えます。両方一緒に立ち上げますという人が増えて欲しいです。そんなに難しい事ではありません。現在あるクラブの中に障がいの子どもたちを入れるだけです。これだけ日本国民がたくさんいる訳ですから、探している子どもたちもたくさんいるはずです。

―――塩家さんのように、ボーダレスな考えはどこから生まれますか。

僕が小学校の時、足に麻痺のある同級生がいました。その方は今も車椅子に乗っていますが、ずっと一緒に遊んでいましたからね。子どもの頃からそういう風に見ているかどうかが一番ポイントです。僕には弟がいましたが難病にかかり、ペースメーカーを入れ、障がい者第1級になり、32歳で他界しました。親族に重度の障がい者がいるということを別になんとも思わなくて、それも一つの個性みたいなとで思っていました。

日本の教育のあり方は、どこかよそ者を受け付けないところがあります。だから僕は制服社会も好きじゃないです。日本は少しでも違いがあると「おかしい」となってしまいます。だから障がいの子に対しても「全然違うじゃないか」と考えてしまうのではないでしょうか。20年経ちましたが今も変わらない。ヨーロッパに比べると明らかに遅れていますね。

うちのクラブの子どもたちは小学2、3年生が多いですが、障がいのある子がいても仲良く一緒に遊んでいます。そういう経験を子どものうちからさせておくことは大事です。大人になってからいきなり車椅子の人や、視覚障がいの人に出会って、その方が困っていても、何を助ければいいのか分からない。

うちのクラブの子たちはそういった意味では分け隔てがないです。「みんな一緒にやるよ。うちは両方一緒だからね」というのはずっと言っています。保護者の方も最初は前者のようにみえたかもしれないですが、今は全然そういう感じはないです。一緒に練習に来て、応援していますから。ぜひ、皆さんにその姿を見て欲しいですね。

―――これからのビジョンをぜひ教えてください。

塩家 今、我々だけの力では限界があります。例えばイベントを通じて広く子どもたちに指導する場所を作るなど、行政を巻き込んだ活動が今後の目標です。千葉市とは繋がりがありますが、県とはまだまだ繋がりが弱いです。このコロナで2年ほどできていませんが、僕たちは、障がいの有無にかかわらず、トップアスリートと子どもたちが交流できるようなイベントを年に1回はやっていました。そういうイベントを定期的に行いながら、年に1回盛り上がるのではなく、年に2回でも3回でもいろんな子たちが参加できる場をつくりたいです。

そのために、どんどん僕もメディア取材や講演会など、積極的に参加をし、活動自体の幅を広げていきたいと思います。

<プロフィール>

塩家 吹雪 (しおや・ふぶき)

NPO法人 シオヤレクリエーションクラブ 理事長(代表)

日本パラ陸上競技連盟 普及振興委員 副委員長

 

【主な経歴】(2000年以降のみ記載)

2001年 IAAF世界陸上選手権(カナダ: エドモントン) 全盲クラス100m伴走 銅メダル獲得

2004年 アテネパラリンピック(ギリシャ: アテネ) 全盲クラス100m伴走8位入賞

2007年 IBSA世界陸上選手権(ブラジル: サンパウロ) 全盲クラス4×400mR伴走 銅メダル獲得

2009年 アジアユースパラリンピック(日本: 東京) 日本代表コーチ就任

2010年 アジアパラリンピック(中国: 広州) 日本代表コーチ就任

2011年 IBSA世界陸上選手権(トルコ: アンタルヤ) 日本代表監督就任

2012年 ロンドンパラリンピック(英国: ロンドン) 日本代表コーチ就任

2013年 アジアユースパラゲームズ(マレーシア: クアラルンプール) 日本代表ヘッドコーチ就任

2016年 リオデジャネイロパラリンピック 文部科学大臣 スポーツ功労賞(指導者)受賞

2016年 リオデジャネイロパラリンピック 文部科学大臣 スポーツ功労賞(支援団体)受賞

2016年 一般社団法人 茗渓会 (社会貢献活動団体) 第15回茗渓会賞受賞

2018年 アジアパラゲームズ(インドネシア: ジャカルタ) 日本代表コーチ就任

 

-インタビュー

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