3年で五輪を吹く!元ラグビー選手が世界初のレフリーを目指す~桑井亜乃さん~

選手引退後のセカンドキャリアとして選択肢は多々ありますが、レフリーというハードな道を選んだ桑井亜乃さん。その背景には「レフリーとしてオリンピックに出場したい」という夢がありました。何があってもブレない桑井さんの情熱の真意に迫ります!

「1%でも五輪への可能性があるならレフリーに挑戦したい」

――ラグビー選手引退後に、なぜレフリーを選ばれたのでしょうか。きっかけを教えてください。

桑井 ラグビーが好きで離れられなかったということが一番の理由です。ただ、最初はセカンドキャリアでレフリーをしようとは思ってもいませんでした。私が引退後にやりたかったことは、ふたつあります。ひとつは、海外へ語学留学すること。もうひとつは何か目標を立てて活動することです。
きっかけは、2020年3月に日本ラグビーフットボール協会の方から、「レフリーをやってみないか」と声を掛けていただいたことです。3、4カ月留学できるレフリーのプログラムがあることを教えてもらい、やりたいことの点と点がつながったという気がします。「世界を目指せば体も動くし、自分自身のチャレンジになる」と聞いたとき、「面白そうだな」と感じました。
選手としての引退時期は、オリンピックを最後に考えていましたが、2020年東京オリンピックは延期。翌年の2021年8月31日に引退しました。その3カ月前に、日本ラグビーフットボール協会の方からもう一度レフリーのお話をいただく機会がありました。私はそのときに3年でオリンピックに行けるか尋ねさせていただくと、「不可能ではない」と返答いただいきました。
選手とレフリーでオリンピックに行った人はいません。たとえ1%でもオリンピックへ行ける可能性があるなら、世界初を目指してみたいと思いました。

――ありがとうございます。その過程で迷いはありませんでしたか?

桑井 はい。やると決めてからは、迷いませんでした。オリンピックという高い目標があったので引退してすぐに次へ切り替えられたのだと思います。始めて3年でオリンピックへ行くのは「難しいことだ」「簡単ではない」とさまざまなご意見をいただきました。しかし、選手とは違う形でゼロからスタートすることに意義があるのではないと思いました。
私には選手のとき、ラグビーを始めて4年でオリンピックへ行った実績があります。ゴールまでの過程を知っているからこそ、目標は明確です。もちろん、始めてみると大変なことが続きましたが、ハードルがあるからこそ闘志が湧いてレフリーに意欲的に取り組めています。

――レフリーの業務内容について知らない方も多いと思います。ぜひ教えていただきたいのですが、いかがですか。

桑井 選手が勝てば決勝に進めるように、レフリーにも勝敗はあると考えています。良い笛を吹いた人が決勝に進むといわれています。「良い試合を吹く」ためには、トレーニングが必要です。
1週間のスケジュールとしては、早朝から女子クラブチームのアルカス熊谷で一緒に走り込みのメニューをしたり、レフリーとして入らせてもらったりしています。体力づくりに、空き時間にウエイトトレーニングも入れてしっかり練習しています。
午後は、埼玉パナソニック ワイルドナイツの練習に行っています。そこで、アタックディフェンスのプレーをするときのレフリーとして入れさせてもらうなど、朝から夕方までずっと外にいる流れです。スケジュールはさまざまですが、今のシーズン(取材時は5月)は、走る量が多かったと思います。私もフィットネスの記録を設定しているので、現役のころよりフィットネスが上がっています。

選手時代とは違い、レフリーは自分の動き次第で世界が広がる

――レフリーになるために、数値的なものや準備したことはありますか。

桑井 私はトップを目指しているので、大会も選手と同様に準備をしています。ただ、選手のときはマネージャーがチケットやホテルの手配をしてもらっていましたが、レフリーになった今は違います。多くのスタッフにサポートしていただきながら、何とかここまでくることができました。
最初は英語での手配も「これで合っていますか?」という感じで不安でしたが、今では「少しぐらい間違ってもいいか」と、失敗を恐れずにできるようになりました。やりたいことも「この大会に出たいです」「こういう試合もあるんですけど海外へ行かせてもらえませんか?」など、私から積極的に提案ができています。

――「レフリー1本で食べていくのは難しい」というお話を聞いたことがあります。ラグビーレフェリーになられたいま、現状はどう感じますか?

桑井 収入は所属や契約によって違うと思います。例えば男性でも「プロのレフリー」というと2種類あります。ひとつは日本ラグビーフットボール協会に所属している方が1名。もうひとつはリーグワンのチームに所属している方が2、3名。プロの人もいればセミプロみたいな形もあります。その他にも教師や、会社員を勤務しながらレフリーされている方もいます。

レフリーは個人なのでそれぞれの目標は変わります。その為他の女子レフリーの方からは真逆の返答が返ってくるかもしれません。太陽生命を目指している方、アジアを目指している方もみえますし、活動内容もさまざまです。私は今、世界を目指してこういう流れで活動していますが、私のように仕事を辞めて1年間フリーランスで活動している人はまだ少ないと思います。もちろん会社の理解があってレフリーをされている方もいらっしゃいます。ただレフリーで食べていくにはそれ相応に結果を出すことが必要です。そのため、セカンドキャリアとしての選択は厳しいものがあるかと思いますが、自分を信じて進んできて良かったと思っています。

―—フリーランスとしての活動期間はどんなことをされていたのでしょうか。

桑井 そうですね、イベント出演やJ SPORTSのラグビー番組で解説などをしていました。固定給がない状態なので「貯金がなくなるまでは、お金を気にせずラグビーに関わりながらレフリーに集中したい」と思い切っていたと思います。理由は、それぐらい覚悟がないと、3年でオリンピックに行くのは無理だなと思っていたからです。レフリーとしての活動を評価していただいて、1年後に日本ラグビーフットボール協会が業務委託として契約を結んでもらえました。本気でオリンピックを目指している気持ちを貫き、積み上げた実績が認められたのかなと思います。
また、選手のころから個人スポンサーとして支えてくださった方の存在も大きいです。例えば、私が元勤務していたデパートも大切なスポンサー様になります。現役のころは試合のために休みをもらうなどご厚意をいただいていましたが、これ以上は職場に迷惑をかけられないと思い、選手引退と同時に退職しました。それでも社長は「このまま何もなくなってしまうのは」ということで、今もサポートしてくださっています。他にも選手の時からお世話になっているスポンサーさんはレフリーになっても継続してくださっています。そしてレフリーとして新たにスポンサーになって応援してくださる方も増えました。色んな方に支えられてレフリーに集中することができています。本当に感謝しています。

どんなことがあっても自分の軸がブレないことが大切

――レフリーのお仕事について、やりがいはどのようなものだと思いますか。

桑井 積極的に行動することにやりがいを感じています。私は海外に留学しましたが、もし日本だけに留まっていたらレフリーの魅力もわからないままだったのかもしれません。国内で笛を吹いて、認められ世界に行ってそれが通用するのか確かめたいと思っています。
先ほどお伝えしたように、全部を準備された状態で行くのと、自分で手配して行くのでは、達成感も違います。また、レフリーは最初から最後まで同じメンバーで活動するわけではないので、違う場所に行くとまた新たな出会いにも恵まれます。選手のときは、チームでの行動なので狭い領域だったのかもしれません。レフリーでは日本を飛び出して国を問わず友達ができています。
ミーティングを一緒に行ったり、チームになって試合をこなしたり。そういう面ではレフリーのおかげで人としても成長させてもらっていると思います。国内に留まらず、人間関係を築くことがすごく楽しいです。 レフリーの魅力を言語化するのは難しいですが、日本との違いを肌で感じることは良いポイントなのかなと思います。

――レフリーのお仕事で大切にされていること、気をつけていることを教えてください。

桑井 大切にしていることは「強く美しく」。自分がブレずにいることです。周囲からいろいろ意見を言われると、人は流されてしまいがちです。
私も頑固な部分を出しながら、もちろん周囲の意見が必要なときは受け入れています。しかし、私も人間なので傷つくときは傷つきます。メンタルが不安定になると、自分の判定まで影響されかねません。だからこそ、どんなことがあっても自分の軸だけは大切に揺らがないようにしています。
また、選手をコントロールするわけではありませんが、ゲームの流れを読むことも大切なのではないでしょうか。選手がノンストレスな状態でゲームを進めてもらえるようなゲームをいつも心がけています。

―—レフリーの難しいところはどんなことがありますか?

桑井 そうですね…。あえて考えるとしたらレビューでしょうか。私は1日~3日目まで試合があるとしたら1日目の終わりに自分の試合を全部見直して、良かったか悪かったか判定を一つずつ欠かさず見直してレビューシートに書き込みます。あまりイメージがないと思いますが、グラウンドの中だけではないということです。その他にも一対一でコーチとレビューしたり、「判定」はどちらの選手にも言い分があるのもわかります。一貫性を保ってレフリーをしています。
一番難しいのはプランニングです。ラグビー元選手がセカンドキャリアとしてレフリーとして3年でオリンピックに行けたという成功事例がありませんでした。それまでの過程は日本ラグビーフットボール協会が準備してくれるものなのか、自分がどのタイミングでどのパフォーマンスを見せれば上に行けるのか、どうすれば名前が出るのか、何度もミーティングをし、話し合いを重ねました。私自身ものすごく考えた時期がありました。

自分にプレッシャーをかけた結果が未来を切り開く

――レフリーを始めたばかりのころ、桑井さんにとっての課題はどのようなものでしたか?

桑井 私にとって一番の課題は英語でした。レフリーがコミュニケーションをとるうえで英語は必須です。悩んでいたある日、イギリスの友だちから7人制ラグビーが4大会あることを聞き、興味をもちました。ラグビーの発祥国であるイギリスに留学して知識を得たいと考え、計画書を提出。ホストファミリーを見つけることも約束し、承諾してもらいました。

1年前になりますが、イギリスへ2カ月留学しました。滞在期間中、ヨーロッパチャンピオンシップの切符を手にするチャンスに恵まれました。オリンピックもそうですがレフリーは各国から1人選ばれるわけではありません。ラグビーには強豪国が複数存在しているので、そこへどう入り込むかというと自分から海外へ飛び込んでアピールをすることです。この時、「私」という日本人がいるということを世界に認知してもらうきっかけの一つになったのでないかと思います。たくさんの人に支えてもらいながらですが、海外留学を決断して良かったと思います。

―—今後のラグビー界のレフリーに期待したいことはありますか?
最近は、「ラグビー選手のプロの価値が上がっている」と言われていますが、一緒にレフリーの価値も上がってほしいなと思います。拘束時間が長いですが1試合の「報酬」については、現実はシビアです。
世間的にもう少しレフリーの価値が高まれば、私のように選手からセカンドキャリアで目指す方も増えるのではないでしょうか。選手がトレーニングをしているのは誰でも知っていると思いますが、レフリーもトレーニングをしていることはあまり知られていません。また、レフリーは毎試合の後も休まず、必ず振り返ってレビューをしています。その後コーチと一緒にレビューをします。CMOが試合のパフォーマンスを評価します。レフリーはコーチと精度の高いパフォーマンスできるよう腕を磨いています。
これはよくあることですが、レフリーに対して「あっちの味方をした」「こっちの味方をした」と声をいただくことがありますが、試合で不公平は絶対ありません。なぜなら、不公平をすれば自分自身の次はないからです。私たちレフリーはいつも選手が試合に精神集中できるように、自分にプレッシャーをかけながら全力を注いでいます。

――トップアスリートのご経験があるからこそ、生かせていることはありますか?

桑井 選手としてオリンピックを経験していることです。国内でいうと太陽生命、海外でいうとワールドシリーズ、アジアシリーズもそうでしたが、「大舞台」となると誰でも委縮してしまうものです。しかし、私は普段通りにレフリーができることが強みだと思っています。オリンピックも試合の流れを知っているので物怖じせずに舞台に立てると思っています。
レフリーも結果を残さなければいけません。私が唯一プレッシャーを感じたエピソードは、南アフリカの大会です。若手と期待値が高い子たちがワールドラグビーのチャレンジャーシリーズへ行きましたが、この中で決勝を吹かないと、次のコアメンバーに入ることができないと思っていました。コアメンバーに入れないということは、オリンピックへの切符もその時点で消えてしまう。私も日本代表のレフリーという気持ちで入りました。自分にプレッシャーをかけた結果、ファイナルを吹くことができました。

結果がでなくても無駄にはならない。まずは挑戦しよう!

――これからバックアスリートを目指す方に、メッセージをお願いします。

桑井 自分でやりたいと思っているものがあれば一度挑戦したほうが良いと思います。それで駄目なら次を探すだけ。「やらないで後悔するんだったらやって後悔しよう」これは私が自分によく言い聞かせている言葉です。
私も英会話を勉強すると決意するまで時間がかかっています。初めての場所に行くのも不安だしうまくできるのかもわからない。それでもレフリーをするために、英語は不可欠でした。一歩踏み出さないと、成長はないと思い切っています。やってみたら意外にも面白かったり、新たな発見がありました。一度に全部覚えようとする必要はありません。1週間に1回ぐらいやってみるなど、ステップアップして習得していくことが大切だと思います。

――桑井さんの今後のビジョンをぜひ教えてください。

桑井 私の目標は2024年のパリオリンピックです。夢が実現するかどうかは、1年後にわかりますが、たとえ結果がでなかったとしてもこれまで挑戦してきたことは無駄にはなりません。
目指すものを見つけることは簡単ではありません。私が掲げる目標は大きいものですが、夢がなければ今の私は存在しなかったことは事実です。レフリーという仕事は、現役のころとは違った形で私を日々、成長させてくれています。

プロフィール

桑井亜乃(くわいあの)

ラグビー レフリー
大学卒業後の2012年からラグビーを始め、1年後に日本代表に選出。
2016年にはリオデジャネイロ五輪に出場。
2021年に現役を引退。
現在は、世界初の選手とレフリー、両方での五輪出場を目指し、世界で活躍中。