大切なのは目の前のことに100%で取り組むこと ~中條智志さん~
Jリーグ松本山雅FCや川崎フロンターレを経て、2022年に日本代表フィジオセラピストとしてFIFAワールドカップに帯同。現在活躍中の中條智志さんにお話しを伺いました。日本サッカー協会のフィジオセラピストとして選手にどのように向き合っているのでしょうか。また、未来のバックアスリートの教育を担う中條さんのビジョンにも迫ります。
目次
サッカーの経歴と学歴が認められ、日本サッカー協会のフィジオセラピストに
――サッカーについてはいつ頃からご縁があったのでしょうか。
中條 私は小学校から中学校1年生までは野球少年でしたが、中学2年生でサッカーに転向し、サッカーが好きになりました。高校3年間は部活動などに熱を入れていましたし、卒業後も社会人のサッカーチームに入っています。サッカーが大好きでそれに関わる仕事に携わりたいなという思いはありましたが、どのフィールドで働くかということに関してはこだわりがなかったので、トレーナーか体育教師になりたいなと思っていました。しかし、トレーナーとして活躍できるのはほんの一握りだったため、体育教師を目指していました。
――理学療法士(フィジオセラピスト)はいつ目指そうと思ったのでしょうか。今にどのようにつながっていますか?
中條 思い描いていた大学に進学することができなかったので、浪人することを決意し、その時にたまたま読んだ就職本から「理学療法士(フィジオセラピスト)」という仕事があることを知りました。その就職本は就職率まで掲載されており、当時の理学療法士の就職率は100%と書かれていました。さらに、小児のリハビリもありますし、小学生から高校生まで教える仕事である点は、目指していた体育教師と共通していてとても良い職業だと思いました。大学同じクラスの友達の中には、部活動で怪我をしてリハビリをしているときにお世話になり「自分もやってみたい」ということで理学療法士を目指す人もいましたね。
――筑波大学大学院への進学を決意された理由をぜひお聞かせください。
中條 筑波大学大学院への進学を決めた理由は2つあります。ひとつは、北里大学4年生のときに実習先の病院で指導していただいた先生からアドバイスをいただき背中を押してもらえたからです。当時は、大学院に行き研究をすることに興味がありましたが、病院実習を行ううちに病院に就職するのも良いなと思い、進学か就職かどちらにするか悩んでいました。そこで実習先の先生に相談したところ、「社会人になってから大学院に行くとなるとハードルが高くなるから、進学した後に就職してもいいんじゃないか」と言われ、その通りだと納得しました。もうひとつの理由は、筑波大学大学院で日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーになるための専門科目を履修できるからです。(基礎科目は大学の授業を科目等履修しなければならないのですが)
――なるほど。確かに幅広い科目を知ればより深い知識が身につきそうですね。
中條 はい。ステップアップにつながったと思います。必要単位を取得できたため、大学院の在学中に指導教員の紹介でJFAメディカルセンターで働くことになりました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災の影響でJFAメディカルセンターでの業務を続けることができなくなってしまったのですが、当時日本代表のコンディショニングコーチをされている方から話をいただき、JFAアカデミー福島という中高生のチームでトレーナーとして働くことになりました。JFAアカデミー福島時代にサッカー日本代表に帯同していたチーフトレーナーと関わる機会があり、「代表のトレーナーになるにはどうしたらいいですか?」と相談したところ、「ケアはマッサージや鍼治療が多いから、鍼灸あん摩マッサージ師の資格を取得すると良いよ」とアドバイスをもらいました。そこでJFAに無理を言って、JFAアカデミー福島でトレーナーとして働かせていただきながら鍼灸あん摩マッサージ師の学校に通い、鍼灸師、あん摩マッサージ師の資格を取得しました。
サッカー日本代表 合宿期間中の理学療法士の動きとスケジュール
――普段はどのようなお仕事をされているのか業務内容やスケジュールをぜひ教えてください。
中條 代表の練習は夕方になることが多いので、9時から選手たちは朝食になりますが、その際にコンディションのチェックを行います。コンディションのチェックは体重測定、アプリを用いた自覚的なコンディション入力(疲労度、筋の張り等)、ウェアラブルデバイスを使用した睡眠のチェックを行なっています。朝食をとった後、ケアが必要な選手もいるので10時45分~12時程度までケアの時間としてメディカルルームをオープンしています。その後は練習開始の1時間前からメディカルルームにてテーピング等練習前の準備を行います。そして、夕食後に夜のケアの時間があります。ケアをする人数によりますが夜のケアはだいたい21時から23時半まで行い、その後にメディカルスタッフとフィジカルコーチでミーティングを行い、1日が終わるというスケジュールです。
――興味深いお話をありがとうございました。続いて、フィジオセラピストやアスレティックトレーナーを目指している学生も多いと思いますが、サッカー業界でフィジオセラピストの需要は多いでしょうか?
中條 昔に比べて、フィジオセラピストがいるチームもかなり増えてきました。J1のチームでは多いところで3人フィジオセラピストがいるチームもあります。それだけJリーグにおけるフィジオセラピストのポジションが確立されてきているなと感じます。怪我をしないことが一番ですが、やはりサッカーにおいて怪我はつきものです。怪我をしてしまった場合、早く復帰させることがチームとして重要になってきますので、リハビリテーションの専門家であるフィジオセラピストの認知も高くなり、需要が増加していると思っています。
「選手との距離感を大切にしたいと思っています」
――代表のフィジオセラピストとして活動されるなかで、大切にしていることや気をつけていることを教えてください。
中條 私たちフィジオセラピストやトレーナーは医師の指示に基づき身体機能の回復に焦点を当てたリハビリを提供しています。日本代表チームでは練習中にドクターがいないことは基本的にはありませんが、Jリーグのチームでは練習中にはドクターがいないことがあります。怪我が発生した場合に応急処置はしますが、その場で診断をせずドクターの治療方針に従って行動しています。
――精神的な支えという意味でも選手から相談を受けることも多いと思います。立場上、そのバランスを取るのは難しそうですね。
中條 そうですね。近年ではヨーロッパをはじめ海外のチームに所属する選手が増えてきました。その選手たちから相談を受けることもあります。日本語でも怪我の状態を伝えることが難しい場合がありますから、ましてや海外で言葉や文化が違っていたらなおさら状態を正確に伝えられないこともあると思います。ただ、私は所属チームのメディカルスタッフではないですし、実際に状態をチェックしているわけではないので、アドバイスはしますが基本的には所属チームの治療方針に口出ししないように心掛けています。
――アプローチとは別に選手のコミュニケーションの中で意識していることはありますか?
中條 「選手」と「スタッフ」という距離感ですね。近づきすぎないよう心がけてはいますが、なかなか難しいです。リハビリは選手と1対1で行うことが多いため、選手と会話する機会も多いです。さらに、苦労を2人で乗り越えたという経験もありますし、距離が近づくこともありますが、友達みたいになってしまうのではなく、ある程度立場をわきまえて行動しなければいけないなと常々思っています。
「これまでの全ての経験が、今の私を作り上げている」
――過去の経験の中で嬉しかったことや印象的なエピソードをぜひ教えてください。
中條 昔から変わらない嬉しいことは、選手に感謝してもらえることです。Jリーグはシーズンも長く、うまくいかないことや苦しいことが多いのですが、シーズン中やシーズンが終わってチームが解散する時に選手から「ありがとうございます」「中條さんのおかげで復帰できました」などと言ってもらえるだけでやりがいを感じます。
また、2022年のワールドカップでの経験が自分を大きく成長させてくれたと思っています。ワールドカップはサッカー選手なら誰もが目標にする場所だと思います。グループリーグは3試合あり、そこで負ければ決勝トーナメントには進めず、大会が終わってしまうので、選手たちはまずはその3試合に全力を尽くします。そういう緊張感のある中でリハビリをしなければならない、ましてやグループリーグの試合日程が決まっている中で、そこに合わせてリハビリを進めなければならないというのは、非常に難しい判断を伴うものでした。私自身も初めてのワールドカップで、重圧と緊張感で今までうまくいっていたことがうまくいかなくなったり、冷静に判断できないような場面がありました。一方で、出来うる限りの治療、リハビリを行い、ドクターやトレーナー、その他スタッフの協力や選手の努力があって、何とか怪我から復帰し最後の試合に出すこともできました。勝敗に関わらず、最後の試合で彼が出場できたことは私の自信につながっています。良い経験も悪い経験もありましたがこのワールドカップでの経験が次の段階へステップアップさせてくれたと思っています。
目の前のことに全力で取り組む。100%で積み上げた努力が未来を切り開く
―—これからの日本サッカーがより良くなっていくために、期待されていることはありますか?
中條 アメリカはスポーツ医学が進んでいると感じます。現在、サッカーアメリカ代表のチームには日本人のアスレティックトレーナーが所属しており、その方にアメリカ代表での活動内容を聞いて非常に参考になりました。メディカルスタッフとアナリスト、コンディショニングコーチ、フィジカルコーチなどがチームとなり、客観的なデータを取り、分析しミーティングを毎日行い、そこで問題のある選手に対して何らかのアプローチをしているそうです。日本代表もアメリカ代表の真似をするわけではないですが、客観的なデータを取り、分析していきながら、どうすれば選手のケガのリスクを低下させることができるのか、コンディションを上げることができるのかをメディカルだけでなくさまざまな職種がグループになって考えていければいいなと思ってます。
――なるほど。サッカー日本代表をはじめとする選手にとって、予防医学の進歩は大きな利点ですね。ありがとうございます。続いて、バックアスリートを目指す方へご自身の経験を含めたメッセージをお願いします。
中條 バックアスリートとして活躍されている方々は少なからずスポーツの経験があると思います。私自身はアスリートとして活動することを諦め、フィジオセラピストという立場になったですが、なかにはプロになった後に指導者などになる方もいるかもしれません。時々、理学療法士の養成校で話すことがあるのですが、学生から「どうやったら代表トレーナーなれますか?」などと聞かれることがあります。私と同じように歩んでも代表のトレーナーになれるとは限りません。「自分がやりたかったことと違う。こんなのやりたいことと全然関係ないな」と思うこともあるかもしれませんが、目の前のことを100%でできなければ、その先はないと思います。私自身は目の前のことを100%でやるということを積み上げてきたからこそ、今があると思っています。なので、「目の前のことを100%で取り組んでください」と学生には常に伝えるようにしています。
データに基づいたコンディショニングの実現とトレーナー育成の夢
――今後のビジョンをぜひお伺いしたいです。
中條 私の短期のビジョンは、先ほどもお話した選手をいかにケガさせないかという取り組みを継続し形にすることです。SAMURAI BLUEのワールドカップ優勝に少しでも貢献できればと思っています。
――2024年7月14日から11月10日には日本サッカー協会とニチバン株式会社との共同企画で、サッカーのアスレティックトレーナーを目指す方を対象にした育成プロジェクト「SOCCER MEDICAL CAMP」が開催されるとのことですね。講師活動にも今後力を入れられるのでしょうか。
中條 そうですね。「SOCCER MEDICAL CAMP」に関してはJFAの事業の一環で、講師の一人として登壇します。博士号を取った経緯もありますので、いずれは専門学校や大学の先生として活動する未来を考えています。これは私の長期的な人生のビジョンです。現場で活動する人が変わったときに今までやっていたものが消えてしまうのではなく、私の経験を伝え最新技術を取り入れながら、個人ではなく日本のフィジオセラピストとして積み上げていきたいと思っています。
プロフィール
中條 智志(なかじょう さとし)
松本山雅FC、川崎フロンターレを経て、2022年からサッカー日本代表フィジオセラピストとしてFIFAワールドカップに帯同
保有資格:JSPO-AT、理学療法士、鍼灸師、あん摩マッサージ師、博士号(スポーツ医学)