家族のような信頼関係を築く~浦郷道仁さん~

リオ五輪(2016年)の柔道100kg級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介選手のボディケアを長年行っているあん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の浦郷道仁さん。羽賀選手から絶大な信頼があり、今や「家族のような存在」と言われるほど。
その浦郷さんの信頼の源は何か? 実力以上に自分をアピールする人が溢れる中、浦郷さんは、言葉少なに「今、目の前の仕事をしっかりやるだけです」と家族のような信頼関係を築くことについて語ってくれました。

目次

羽賀選手との出会いと仕事内容

 

―――そもそも羽賀選手との出会いは?

浦郷 そうですね、13年前位ですかね。東海大相模高校の監督の紹介です。初めて試合を見たのは、羽賀選手が高校1年生の時、金鷲旗高校柔道大会で史上初の20人抜きをした大会です。正直、驚きました(笑)。その後、羽賀選手の身体のケアに携わるようになり、肩回り、背中回りは一般の選手よりは随分、発達していました。ただ年齢を重ねるにつれて、身体がどんどん仕上がっていくのが分かりました。高校生の時はもっと線が細かったので。柔道選手というのは、どうしても釣り手に結構、負担がかかったり、得意技の同じ練習を繰り返すので負担のかかり具合が右と左で違うんです。その時の身体のバランスも見ながらケアするようにはしています。

―――羽賀選手がこんなことを言ってました。「浦郷さんは、オリンピックに出るアスリートを見てるだけじゃなく、腰が曲がったおばあちゃんの治療もしているんです。老若男女様々な人の治療を行うことで上手い距離感を取って接してくれるし、浦郷さんの治療院に行った時に、一般の方に“頑張って”なんて応援されると励みにもなります。地元で好かれている治療院なのは、やっぱり浦郷さんには人間味があり、人として魅力があるからだと思います」

浦郷 自分はスポーツトレーナーではないから、例えば自分の出た学校からプロ野球のトレーナーになった人も結構います。ただそうなってくると治療する人が偏っちゃいますよね。自分的には若い人から年寄の人までみんな、診たいと思っていて、その中でアスリートも診られたらいいなという。もちろんアスリートも時間が許す限り診たいですけど…、今はどうしても羽賀選手と王子谷剛志(身長186cm、体重145kg)選手は最優先して診たいです。アスリートを治療する時は、例えば、試合前とか、「今日は話していいのか」とかは結構、気にしますよ(笑)。まぁ、ただこれは選手に限らず一般の方もそういうことがありますけど。

――――羽賀選手が「浦郷さんに試合に帯同して頂くことがあるんですけど、7ケ月ぶりの復帰戦の時、準決勝くらいで、浦郷さん、もう泣いてましたから。本当に優しい人なんです。ただこういう支えてくれる人がいるから辛い時でも頑張ろうって思えるんです。試合に勝ちあがっていくと泣いちゃうのも、実は一緒になって緊張してくれているってことだし。そういう一体感が生まれるのはすごく嬉しい。浦郷さんは、ある意味、それなりの覚悟を持って僕と接してくれていると思うので」とおっしゃってました。

浦郷  そういって頂けるのは仕事、冥利につきます。そういえば、リオ五輪から帰ってきて3日後にウチの息子と一緒にプール行ったりしました。分かる人には、「あれ? 何で羽賀選手、プールにいるの?」みたいな感じで(笑)。それと自転車漕ぎに行ったり、山登りも一緒にしたりします。

浦郷さんの仕事への想い

――――浦郷さんのようになるにはどのような資格が必要ですか?

浦郷 私の場合は、「はり師の免許」「きゅうの師の免許」「あん摩マッサージ師免許」の3つを持っています。これはすべて、国家試験になります。専門学校に3年間通い、免許を取得しました。結構、一般の方は混同して考えてしまうのですが、いわゆる整体師とは違うんですね。
この3年間は、専門的な勉強をするので大変は大変でした。

――――浦郷さんがこのお仕事やろうと思ったきっかけは?

浦郷 親が柔道をやっていた関係で、自分も柔道をやっていて、強くはなかったですけど、
柔道が好きでした。強い人を見ると、ケガをしている人も多いし、「自分は将来、こういう人達を治せる仕事に携われたらな」と漠然と思っていました。それならお医者さんになればいいという話ですが、お医者さんは科が別れたりして、もっと全体的に治していきたいと。
それでこの仕事を選びました。学校を行っているときから、治療院で見習いで働いて、資格取ってからもしばらく働いて結局、丸11年そこにいて、2003年に独立開業しました。地元の小田原というのにこだわりはなかったんですけど、たまたま今の物件の情報が知り合いからきたんです。最初は実家の余っている部屋でやろうと思ったのですが、交通の便がよくなかったので、小田原駅前のこの物件に決めました。ただ2階だから年配の方は大丈夫かなと思ったんですが、意外と平気でしたね(笑)。開業してからは、休みはあってないようなものです。ウチは基本的にアスリート専門ではなく一般の患者様が90%以上です。1日8~10人治療をすることもあります。正直、私自身の身体もケアしていかないと、自分の身体がもたないので、自分の先輩と連絡取り合い、お互いにケアをするようにしています。やはり私たちも生身の身体なので何もしないとガタがきちゃいますから。

 「ブラボー」という店舗名は、治療が終わって“ブラボー”という気持ちにさせたいというのと、私が「ウラゴー」なのであだ名で「ブラボー」と学生時代に呼ばれたこともあり、付けました。開業にあたって保健所に行く必要があって、「ブラボー」という店舗名で出したら、「名前ってこれですか?」って保健所の担当者に言われて(笑)。「ふつうは〇〇治療院とか考えますよね?」って。「ダメですか?」って聞いたら「ダメではないですけど…」という感じで、しょうがないのでその時だけ「ブラボー治療院」って書きました(笑)。

 

―――浦郷さんが治療する上でこだわっていることはありますか?

浦郷 私は一人で治療院をやっていますが、とくに事業を大きくしようとか下の子を育てようとかは考えていません。実際、お金計算は得意でないですし、指1本でできる仕事ですが教えるのは中々、難しい部分もあります。それよりかは、羽賀選手にしろ、腰が痛いおばぁちゃんにしろ、目の前の人の治療を全力でやることです。もうそれしかないと思っています。だから私は日々、目の前の患者様の身体が「良くなれ」と思いながらケアすることを心掛けています、ホント、難しいことは何もない、それだけですよ。

 

プロフィール

浦郷道仁・・・1972年4月30日生まれ。神奈川県小田原市出身。「bravo(ブラボー)」
〒250-0011 神奈川県小田原市栄町2丁目1−9 2階