インタビュー

一枚の写真で伝えるボクシングの魅力と写真家としての想い~山口裕朗さん~

インタビューの締めくくりに、山口裕朗さんは語ります。「面白そうだったら撮らなきゃ損じゃないですか」グローブを吊るし、カメラを手にして22年。山口さんは“なにかをしたい”と考えたらまず行動に移されます。その原動力の源はその一言にあるのではないかと思います。“ここじゃないどこか”にある、“なにか”を形に。当然そこには様々なハードルがありますが、常に挑戦し続ける山口さんの笑顔は、私たちに勇気を与えてくれました。

ボクシングを始めた経緯

――ボクシングを始めた経緯を教えてください。

山口 中学生の時に鬼塚勝也さん(元WBAスーパーフライ級チャンピオン)の試合をテレビで見て、チャンピオンに憧れ自分もボクシングをやろうと思いました。志望校だった高校には合格していたので、協栄ボクシングジムに入会しました。まさしく鬼塚さんが活動していたボクシングジムですね。半年ぐらい続けましたが辞めて、半年はボクシングから離れていました。

高校2年になる時にクラスメイトが金子ジムに通っていたのがきっかけで、ボクシングに戻りました。プロテストに受かったのは高校3年生の秋です。翌年19歳の11月にデビューをして、新人王での階級はスーパー・バンタム級(旧:ジュニア・フェザー級)でした。減量はかなり厳しいものでした。新人王が終わってからはフェザー級へ、最後の試合だけライト級に上げて戦いました。

17試合に出場しましたが、金子ジムの先輩だった川崎新田ボクシングジムの新田会長から見ると鼻たれ小僧ですよね(笑) 最後の試合が1999年2月で24歳の時に引退しました。写真界については、引退から2ヶ月後の4月には日本写真芸術専門学校の夜間コースに通いはじめ、2年間学びました。

 

――ボクシングを辞めてすぐ日本写真芸術専門学校へ行かれたとお聞きしましたが、そこに行き着いたのは何か理由があったのでしょうか。

山口 写真の神が降りてきたからです(笑)最後の試合が行われた前年の1998年6月、昔あったA級トーナメントに出場し、そこで後にスーパーフェザー級の日本チャンピオンになるキンジ天野選手に負けて、3連敗になりました。“勝てない”という感覚を初めて感じた対戦相手でした。それで進退について悩み、1ヶ月程の旅に出ることを決めました。

飛行機で自転車を運んで、鹿児島へ行きました。そこからスタートし、東京まで自転車で帰ってくるという旅です。自転車にしたのは、ボクシングを続けようと決めた時に、1ヶ月後できるか考えた時に、これなら体力もそんなに落とさず戻れるかなと思ったからです。

きっかけは熊本県だったと思います。普段は公園などで水浴びをするくらいだったので、久しぶりにお風呂に入りたいと思い、温泉施設に立ち寄りました。そこは海の近くで、浴場からも有明海が凄く綺麗に見えて感動したことを覚えています。こうした旅の感動体験や、出会える人に優しくしてもらった時に感じた気持ちを表現したいと思いました。

ちょうどそのタイミングで、通りかかった街の本屋で、たまたまボクシングマガジンを手にしました。雑誌を開いたら、自分が負けた試合のページがある。そこには自分がパンチをくらって歪んだ顔で写っている写真がバーンと掲載されていました。僕はそれを見た時に、「ボクシングを辞めよう」と決めました。辞めたら何をしていくか考えた時に、感動の気持ちを伝えられる手段として、“写真”が降りてきました。

ボクシングの写真を撮り始めた経緯

――元々、カメラに興味はあったのでしょうか?ボクシングの写真を撮り始めたのはいつ頃ですか?

山口 振り返ってみると中学生の時に貯金をはたいてニコンの一眼レフカメラを買っていましたね。修学旅行に一眼レフを持っていき、友達を撮っていました。高校生になると持ち歩くのに一眼レフは重く、家にあった『オートボーイ』というコンパクトカメラを持って学校へ行きましたね。

昼休みに友達を撮ったり、なにかと記録したりするのが好きでした。当時は写真に特別な想いがあった訳ではないですが、学生時代の頃の写真はいっぱい残っています。なにか今に通じるところがあったのかもしれません。

ボクシングの写真を撮り始めたのは写真学校に入ってからです。ジムの後輩の試合や練習シーンを撮りに行っていました。それでも最初はボクシングを撮りたかったわけではないんです。写真の勉強をしていくうちに、日本だけじゃなく世界中にすごい写真家がいるのを知りました。そういう方々の写真を見ていると、自分も壮大なスケールの写真が撮りたいなと思いました。また、専門学校の時ですが、先生が出された課題の一つに『私』というテーマの写真を提出するというものがあり、僕はボクシングの写真を見てもらいました。

普段あまり人を褒めたりする先生ではないのですが、僕の写真を見て「お前のボクシングの写真はいいな!」と言ってもらえたことがすごく嬉しかったです。やっぱり“餅は餅屋”なのかなという感じですね。ボクシングを撮りたいと思ったのはその時からです。

――写真は深いですね。スポーツにより様々なストーリーがあり、それを写真として収めていく難しさがありますよね。

山口 ボクシングのコンビネーションにはセオリーがあります。この選手は左フックでいつも倒すから、その左をどうやったら撮れるかイメージしながらその瞬間を待ち、撮影します。そういうのは絶対に必要なことですよね。ボクシングカメラマンに福田直樹さんという方がいらっしゃいます。福田さんはプロボクサーではないのですが、ボクシングが大好きな少年だった。

そのままボクシングマニアになって、あれだけの写真を残してこられています。そう考えると、ボクシング撮影に経験の有無は関係ないと思います。必要なことは、スポーツ競技に対しての理解だと考えています。例えば、1月に日本タイトルを獲得した古橋岳也選手と孫創基(ソン・チャンギ)トレーナーの十数年にわたる付き合いやここまでの努力を想像できないと、試合が終わったときに、古橋君を抱きしめる孫君の気持ちはわからない訳です。

僕なりの解釈ですが、孫君の想いは凄く感じるものがありました。2人の関係を知っている方であれば、試合が終わったら「感動のシーンが訪れるかもしれない」とあらかじめイメージはできます。でも、いざその瞬間がきた時、「あっ」とカメラを構えた時には撮影のタイミングには一足遅い。先に先にどんなシーンが訪れるか、あらかじめ自分の中で絵を用意しておかないと、いくら今のカメラの性能が良くて、オートフォーカスが速くても間に合わないです。

常にその競技に対して理解とそこに取り巻いている人達の人間関係性もわかっていると、より写真の幅が広がるのかなと考えています。また、ニュース速報的な写真を撮るという仕事的な部分はありますが、僕が本質的に撮りたいものはただ起きた出来事だけを伝えるものではないと思っています。

――今に至るまで、どのような写真を撮られてきましたか。

山口 専門学校に通っている時から、結婚式のカメラマンを見習いで経験し、少しずつ信用してもらえるようになりました。その後、ウエディングの仕事が経済的にもベースになりました。卒業後はレンタルスタジオへ就職しました。スタジオマンとして働きましたが、10日ぐらいでドロップアウトしました(笑)理由は、わかってはいましたが、実際働いてみたら僕が「見たいな」と思っていた写真の世界ではなかったからです。

辞めてからはアルバイトで働きながら、自分が撮ってきた写真作品を色々な出版社をまわって営業活動をしていました。30歳ぐらいでようやく仕事がもらえるようになり、アルバイトを辞めてフリーランスのカメラマンとして働いています。色々な所で知り合った方たちから声かけていただいたりして、単発的なものや2009年には国際連合広報センターのインタビューシリーズなどの仕事をもらえました。そういうものが積み重なって今があるという感じです。

2015年にニューヨークに滞在したのは色々な条件やタイミングが重なったということと、単純に面白そうだったからです(笑) 僕の中に“ここじゃないどこか”に、“なにか”あるんじゃないかという思いがいつもあります。アメリカでも様々な写真を撮りました。野球のメジャーリーグでは、ヤンキースにいた田中将大選手、あとはイチロー選手など撮影しました。イチロー選手はリーグが違うのでヤンキースタジアムには来られませんでしたが、ニューヨークメッツと同じリーグにいたので、ニューヨークメッツのシティフィールドというスタジアムにマーリンズが来た時は撮影に行っていました。

野球の他にも、サッカーのメジャーリーグやテニスの全米オープン、また、ニューヨークにはアイスホッケー女子のプロのチームがあるので、日本人選手の撮影、NBAで活躍しているバスケット選手の渡辺雄太選手がまだ大学生の時代に試合の撮影など、主に日本人選手が出場する際は撮影に行きました。

それとは別に、『ストリートフォト』のような、街を写した写真を見るだけで、人間や社会が見えてくるようなものを撮りたい、見て感じたものを撮りたいという欲動がありました。そこには仕事という意識はなく、自分が撮って楽しいなと思う写真を撮っていました。撮った写真は、Aflo(アフロ)という日本大手のエイジェンシーに預けています。

ストックフォト、画像素材、動画素材の会社で、写真素材を必要とする企業などが購入して使えるようになっています。購入者の方に喜んでいただけるように、自由の女神とか、誰もが“ニューヨークっていうとこんな感じ”という、イメージに合う写真を撮りによく歩いていました。今も東京の写真を撮っていますが、ただ綺麗というのではなく、自分がそこになにかを感じた時に撮るということを続けています。

写真家としての活動内容

――山口さんは普段、どのようなお仕事のスケジュールをとられていますか。また、活動について教えてください。

山口 日々異なりますが、クライアントさんに寄り添ったスケジュールをとっています。契約の内容にもよりますが、納品の方法については撮影した写真をそのままお渡しする場合もありますし、何カットか選んで納品する場合もあります。アスリートと同様、写真の世界もファッション、料理、風景など様々なジャンルがあり、それぞれを専属して活動されている方や、僕のようにフリーランスで働いている方もいらっしゃいます。

スポーツについても、例えばアマチュアの大会や少年野球を撮って販売する方、新聞やスポーツ新聞でプロ野球やオリンピック競技で撮っている方もいらっしゃいますので、カメラマンという仕事は活動の幅が広いです。ただ、アマチュア競技もそうかもしれませんが、プロの競技はそこで写真を撮らせてもらえるには、何らかの信用がないと難しいです。

新聞や通信社の方々など限られた方しか入れない場所なので、一般の方がプロ選手を撮りたいと言ってもまず入れてもらえません。僕のようにフリーランスで入れてもらえるのは、競技との関わりを大切にしていたこと、関係者の方々に信頼を頂いている結果だと思います。ボクシングの写真についても新田会長(川崎新田ボクシングジム会長)を中心に様々な人達に出会え、信用してもらえるようになりました。新田会長のような方を慕っている僕だから、新田会長みたいにフットワークが軽くなったのかもしれないですね(笑)

ボクシング界が求めていることは、僕が撮影したことで“ボクシング界に何があるのか”だと考えます。ただ「良い写真が撮れた」で終わるのだけではなく、撮った写真が普段ボクシングを見ない人達の目にも触れる場所に出すことができてないとボクシングという競技のアピールにはならないので、自分が外に出せる努力をし続けていく必要があります。

写真家としての想いとやりがい

――写真家とカメラマンとしてのやりがいはどこにありますか。

山口 一つは自分が撮った写真に対して、今はデジタルカメラがあり、その場で確認できてしまいますが、フィルムを使っていた当時は現像するまでどう撮れているかわかりませんでした。そのため、撮った写真が「これだ」という感じに撮れていると、もうそれで充分!充実感があります。それを人が見てどう感じるのかはあくまで結果で、僕にとっては重要なことではありません。

もう一つは自分が撮った写真を誰かが見てくれて、評価をしてくれること。何かの形で多くの人の目に見てもらえる場所に引き上げてくれる時もすごく充実感があります。撮ったものが人に何か伝わったというとのはとても嬉しいですね。以前、友達と飲んだ時に友達の家族の写真を本当に軽い感じで撮影をして、プリントしたものを渡したことがありました。

それが友達の家に行った時に飾ってあったことがありました。僕の知らないところで、忘れてしまっているところで写真がその人達にとって、ちゃんと生きていてくれる。それはすごく充実感ありますね。何か写真の使命をちゃんと全うしているな、という気がします。

大切にしていることや、気をつけていることは、写真の「出し方」です。写真は捉え方によって“暴力的な行為”になることがあります。先程申し上げたみたいに、熊本の田舎町でボクシングマガジンを開いたらパンチを受けて歪んだ顔の僕が写っていて。「ボクシングを辞めよう」と決めたのはその1枚でした。写真1枚で人生が変わることもあるわけです。今はボクシングの写真を撮らせてもらう上で、出し方が難しいなと感じることはあります。

例えば、ボクシングの試合で、片方が一方的にやられているシーンしか出さなかったりとすると、そこに救いがなくなってしまいます。負けた選手でも試合中に1発ぐらいパンチを返しているシーンもあると思いますので、極力入れるようにしています。外に出すことによって、救いがなくなってしまうと、やはり選手は辛いですよ。

報道写真で”『ピューリッツァー賞』という賞がありますよね。そういった影響力がある賞であればあるほど、もちろん写真1枚にしても、出し方を間違えると事実とは違う方向へなにかを動かしてしまう可能性が出てきてしまう。写真にはそういう怖さが凄くありますね。

――カメラマンとしての経験の中で、この経験は最高だった、感動したというエピソードを教えてください。

山口 ボクシングを撮っているといっぱいあります。古橋岳也選手もそうですし、もちろん内山高志選手が世界を取った試合もそうです。その内山選手が最後に敗れて引退した時も印象に残っています。それほどコミュニケーションが深くない方のボクシングを見ても、とても感動し、興奮する試合はいっぱいあります。井上尚弥選手のようなチャンピオンの凄さを目の前で見た時もすごかったです。

リングに沈んだことない、あのオマール・ナルバエスが目の前に倒れてきた時は衝撃でした。ノニト・ドネアとの試合もです。ハイレベルな素晴らしい攻防を目の前で見ることができました。鳥肌が立ったり、涙がでそうになったり、自分の気持ちが動いていると感じられることがたくさんあります。普通に生きているとなかなかこんなチャンスには出会えないと思います。それも年に一度二度、そんなシーンに出会えて、何年も過ごせていることは、やっぱり幸せだなと思います。もちろん、その分責任もありますが、フォトグラファーはそういう充実感を感じられる仕事です。

今まで数えきれないほどの試合を観てきましたが、やはり関わりが深かった人の試合は特別な想いがあります。ボクシングを辞めてから、金子ジムの仲間達の試合を撮りに行きました。撮影を続けて、色んなものが自分の中に降りてきたと思います。取材をさせてもらうと、すごく“人間”に惹かれてしまいますね。

自分と似たような3連敗をしていて、日本ランキングに次の試合で入れるかどうかという選手がいたりすると、そこに現役時代の自分を重ねてしまうこともあります。技術的に下手でパンチがない選手でも、それでも何かこう勝つためにその場でできるだけの自分を出して全力でやっている感じが伝わってきた時や相手と実力が拮抗していると見ていて、すごくいい試合だなと思います。考えると一つにはとても絞れないですね!選手の試合を見ていると、ボクシングは戦い方に人間性が見えるなと思います。そこに何かを感じるボクサーは大勢います。

今後スポーツ界に期待していること

――山口写真家の視点でお話いただければと思いますが、これからのスポーツ界がもっとこんな風になればいいなと期待されていることありますか。

山口 プロ競技で考えれば、一番大事にしなければならないプライオリティーの一番上にいるのはお客さんですよね。お客さんがいないとプロ競技は成り立たないと思います。その次に、僕は選手がいて欲しいと思います。

お客さん、選手でそこに興行主や業界に関わる人たちが来て欲しいです。そこの大事にする順番が、プロモーターさんや興行する方がどうしても一番になりがちに思えます。お客さんが喜べば自然に業界も経済的に潤うわけですよね。そうすれば、選手にも自然にお金が落ちてきます。選手がいい環境で活躍できれば、また次の世代の選手も生まれてくるわけです。それは感じますね。僕にはうまく提案できないですけど、ボクシング界もお客さんに対してのサービスがエンターテイメントとして、もっと何かできればいいなと思います。

――最後に、今後のビジョンを教えていただけたらなと思います。

山口 東北地方に『マタギ』という狩猟の集団がいまして、僕はそのマタギの写真をもう10年以上通って撮影しています。それをそろそろまとめて発表したいなと思っています。マタギの方々は集団で猟をします。個別で入ることもありますが、山中に入り、クマを包囲して仕留める“巻狩り”という技術にすごく特化しています。猟には『シカリ』と呼ばれるリーダーがいらっしゃいます。その方は、現在80代半ばで、「もう年も年だから自分は撃たない」と言われ5、6年前に持っていた鉄砲を返納されました。

僕は、親方が鉄砲を持ってバリバリ働いていた70代前半からその方を中心に撮らせてもらっていました。12 歳の頃から猟に出ている方です。戦後の混乱している日本の中で、服にしても鉄砲の道具にしても今と比べると不自由が沢山あった時代から猟をしています。まだ山には入っていますが、そういう方が鉄砲を納められました。そのちょうどその移り変わりのタイミングに僕は立ち会えていたので、今後はその方を軸として、形にしていきたいなと思っています。

プロフィール

写心家 山口裕朗(やまぐち ひろあき)
1974年 東京都出身
1992年 東京農業大学第一高等学校在学中にプロボクシングC級ライセンス取得
1993年 プロボクシング デビュー
1997年 ニューヨーク・メキシコシティーに1ヶ月のボクシング武者修行
1998年 A級トーナメントに敗退し、進退を決めるべく、鹿児島から東京まで1ヶ月かけてマウンテンバイクで旅をする。
1999年 プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退。

引退後、日本写真芸術専門学校で写真を学ぶ。
2001年 同校卒業後、タイに二ヶ月滞在し、ムエタイ戦士の撮影を始める。『ムエタイジム』
2002年 「サンデー毎日」に写真と文章を掲載。初めての雑誌掲載。女子レスリングの浜口京子を撮り始める。
2003年 ボクシングを撮る7人の写真家が後楽園プリズムホールで展開した写真展「拳闘人間」に出展。
2004年 ボクサーを撮った写真展「瞬輝(まばたき)」をstudio all in oneで開催。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けてきたかつての対戦相手、キンジ天野と田中光吉の写真を、写真展「放熱の破片(ほうねつのかけら)」( Gallery Imago)で発表。
2007年 空間デザイン、絵画、版画、アニメーション、造形、写真と、多分野に渡る8人の作家による「水と人」という主題を軸にしたグループ展、「Under The Ground, Above The Water. 水の記憶人の記憶」に出展。
2008年 写真展「東京邂逅」をAfterhours(アフターアワーズ)で開催
2009年 国際連合広報センター インタビューシリーズ等の撮影
2011年 代々木八幡 Bar baで 写真展 『心打瞬撮 Heart Beat Photograph ~戦いのうたを聞け~』を開催
2015年 6月 11度の世界戦直後の表情を収めたポートレイトを軸に、WBA世界スーパーフェザー級チャンピオン内山高志の軌跡を振り返る写真展『内山高志写真展「KOD ALLOUT 」』 を恵比寿 ALで開催。
2015年6月~2016年12月 アメリカ ニューヨークに在住(New York sketchbook)
2015年11月 WBA世界スーパーフェザー級スーパーチャンピオン 内山高志写真集 『漸進』(日刊スポーツ出版)を上梓
G8京都外相会合・北海道洞爺湖サミット・APEC JAPAN 2010、外務省サミットフォト撮影
ライフワークとしてボクシング、東北地方のマタギや群馬みなかみの狩猟文化を撮影。

-インタビュー

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