パラリンピックでメダル獲得した経験を活かし選手を支える伴走者に~中田崇志さん~
全盲の選手を支えるバックアスリート。「一緒に走ってみたいけど、難しいのでは?」と考えている方もいるかもしれません。「趣味」でするジョギングであれば、伴走は難しいことではないと中田崇志さんは語ります。では、伴走の世界はどういうものなのでしょうか?ご紹介します。
目次
伴走をはじめたきっかけ。そして高橋選手、和田選手との出会い
―――中学時代から陸上をはじめられて、大学時代に日本インカレで7位。卒業後、株式会社NTTデータに勤務しながら、2003年より伴走者として活躍されている中田さんですが、伴走者を志したきっかけを教えてください。
雑誌『ランナーズ』を読んだ時に、『アテネパラリンピックを目指していますが、伴走者がいなくて困っています』という投稿を読んだことがきっかけです。普段の練習で伴走者が何人いても構いませんが、本番のレースではルールがあり、長距離走の伴走者は2人までとなっています。
選手が全力を出し切るためには、選手よりも速く走れる伴走者が必要です。私は選手の力になりたいと思い、連絡しました。その記事の投稿をした全盲ランナーが、その後、一緒にパラリンピックで走ることになった高橋勇市さんです。
高橋さんと一緒にアテネパラリンピックで金メダルを取り、その後、2年後の世界選手権でも金メダルを取ることができました。
―――和田選手の伴走はその後になりますか。
はい。高橋選手と世界選手権で金メダルを取った2006年以降、私は選手としてデュアスロン(ランニングと自転車の複合競技)に専念していました。
2010年にデュアスロン合宿のため、長野県行った時に、ブラインドマラソン協会の合宿もたまたま同じ場所でやっていました。偶然出会った協会のスタッフの方から「和田さんという選手が新たに強化指定になったので、一緒に走ってみませんか?」と声を掛けてもらいました。
その翌月に、和田伸也さんと会い、ダッシュを数本行いました。そのダッシュの力から「和田選手ならトラック種目でメダルが取れるかもしれない」というのを直感的に思って、そこでもう一回、伴走の世界に戻ることを決意しました。
2011年世界選手権では、マラソンに出場して銅メダルを獲得。そこからロンドンパラリンピックに向けて、5000Mの強化に力を入れ、日本人初の立位長距離(5000M)でのメダルを獲得することができました。
和田選手とは、リオデジャネイロパラリンピックも一緒に出場し、メダルまではあと一歩でしたが、マラソンで5位、1500M、5000Mで6位という成績を残すことができました。2019年の世界選手権でも、和田選手と走り、東京パラリンピックの内定を獲得することができました。
―――再び高橋さんの伴走をはじめられたのはどういった経緯があったのでしょうか。
昨年、テレビの取材を通じて高橋さんと久しぶりに再会しました。高橋さんは3年前からパラトライアスロンに挑戦していて、パラリンピックの最終選考に向けて頑張っているところでした。
パラリンピックの代表選考というのは、陸上競技と違って海外を転戦してポイントを積み上げてくシステムです。ただ、海外転戦をするにもガイド(伴走)が必要です。
パラトライアスロンのガイドは、1人で3種目をこなさないといけない、選手よりも速く泳げて、自転車レースの経験があり、選手よりも速く走ることができる必要があります。
そのため、パラトライアスロンは、ガイドを探すだけでも大変です。高橋選手の夢をもう一度支えたいなと思い、トライアスロンのガイドになると決めました。
大切なことは選手の気持ちを理解すること
―――中田さんもパラトライアスロンのガイドという、新たなチャレンジをされている途中なのでしょうか?
そうですね。パラトライアスロンの自転車は、2人で一緒にペダルを漕ぐタンデム自転車になります。
このパートは、ガイドの力も競技タイムに少なからず影響があります。競技タイムに直接影響があるというのはマラソンの伴走とは大きく違う点です。競技者としてのやりがいもあり、いい挑戦させてもらっているなと思います。
伴走もガイドも、一番大切なことは選手の安全を確保することです。安全の確保ができた上で、競技として速く走ることを考えます。
競技の伴走では、大事なポイントが2つあります。「戦略」、そして「心の支え」です。
まず「戦略」についてですが、自分の競技では“自分の気持ち”“ライバル選手の気持ち”だけを考えて競技していましたが、伴走では、“選手の気持ち”、“自分の気持ち”、”ライバル選手の気持ち”、”ライバル選手の伴走者の気持ち”を考えて、戦略を練る必要があります。
ライバルペアの表情を見つつ、選手の様子を感じ取り、ここがスパートのポイントだとか、そういったところを考え、感じながら走ることが大切です。
もう1つ、「心の支え」については、選手によって性格が全然違うので、その点を考慮した声掛けをすることです。例えば、高橋選手の場合は、「頑張れ、頑張れ!」と強い声掛けをしてもフォームも乱れずに、粘り強い走りをします。
和田選手の場合は、強い声掛けだと気合いが入りすぎてしまうので、落ち着いて伝えるとペースが上がります。一人ひとり特徴が違うので、普段の練習からお互いの性格を理解することを大切にしています。
また、私自身がどのような性格であるのかを理解して頂かないとうまくいかないと思っています。急に強い言葉で言われても驚いてしまうと思うので、まずはお互いを理解し、本番で一緒に戦う気持ちを作ることが伴走の大切なポイントです。
―――中田さんは普段、どういった練習や、スケジュールをこなされていますか?
水泳・自転車を週4回、ランニングを週6回が基本です。例えば、朝6時~7時半までスイム。プールから上がったらそのままランニングに入り、7時半~9時まで走ります。平日の仕事は、主に在宅ワークのため、9時半~20時くらいまで仕事し、終わったら自転車の練習を1時間ほど乗る生活をしています。
週末には、ランニング仲間と一緒にトレーニングをしたり、選手と共に泳いだり、息を合わせるトレーニングを行うこともあります。
伴走者の厳しさについて
―――伴走者をやられている方は、日本でどのくらいでしょうか?
人数は分かりませんが、世界大会を目指す選手の伴走者は少ないです。ジョギングを楽しみたい視覚障がいランナーの伴走者の数もまだまだ十分ではなく、是非、みなさんにも伴走を始めて頂きたいです。“競技”の伴走者となると更に少なくなります。
選手より速く走れることが前提となりますので、競技レベルが上がってきた昨今は伴走者を探すのは簡単ではありません。実業団駅伝や箱根駅伝で活躍するような走力を持った方を探す必要がでてきています。
ただ、そのような走力があるランナーは、自分の夢を追い、まさに現役で走っていることが大半です。海外の遠征になれば、それだけの期間、仕事を休まなければいけなくなります。そういう現状から、”競技”の伴走者を探すということは大変厳しいものがあります。
―――伴走するうえで大事にされていること、難しさを教えてください。
伴走するときに一番大事にしているのは、「選手に嘘をつかないこと」です。見えていないが故に、「前が迫ってきているよ」とか。勇気付けるための優しい嘘がありますが、これを使うと信頼が失われ、その後、自分の言葉を信じてもらえなくなると思っています。
それが例え、前の選手との差が離れているなどショックになるようなことでも、そのままを伝えるようにしています。それを伝え、2人でどうするかを一緒に考える。選手と信頼関係をしっかり築くということを大事にしています。
信頼関係を築くためには、普段の生活から心を通わせることが必要です。そこがないと、苦しい場面でも自分の声が選手の心に響きません。伴走者ならではの難しさみたいなところは特にありません。難しさというより、面白さや工夫のしがいがあります。
伴走者は、マネージャー的な要素があります。例えば、海外の宿泊施設に、お風呂がないと聞いたらビニールプールを持参してお風呂代わりにする。他の選手より、いかに選手にとって有利になるのかを考えて行動するところが面白いですね。
伴走者としてのやりがい、そして最高の経験
―――マラソンからトライアスロンに挑戦されるなかで、やりがいをどういったところに感じますか?
どちらもガイドの仕方と状況の伝え方によって、選手の結果が変わってくるので、力が100%出るように、サポートすることがやりがいになります。「この声掛けができて、ここでこういう風にスパートができたから結果が出た」と自分でも思えますし、選手からも言ってもらえたときに、伴走者としての喜びがあります。
パラトライアスロンでは、強ければ強いほど良いというのがマラソンとの違いです。パラトライアスロンは、自分の力も試されるのでまた違う刺激があります。具体的には、バイクのパートです。
二人乗りの自転車に乗り、私もペダルを回します。普段のトレーニングをした努力がタイムに影響するので、モチベーション高く、強化する気持ちでトレーニングをしています。
アテネパラリンピックに出場した2004年に、私はトライアスロンの選手として日本選手権に出場したことがありますが、トライアスロンの挑戦は17年ぶりです。ひさしぶりの挑戦での課題は水泳だと思いました。
私は3種目の中では泳ぎを苦手としていますが、試合まで1ヶ月半あったので「できる」と思って取り組みました。水泳は陸上競技よりも技術要素が強く、指導者にフォームを修正してもらい、泳ぎこめば、高橋選手の伴泳ができる泳力を身につけることができると思い、日々トレーニングを行っていました。
そして、1ヶ月半で高橋選手の伴泳ができるところまでたどり着くことができました。無理だと思わずに「自分はできる」という、高橋選手のマインドを持って、取り組んで良かったです。やはり高橋選手からはいつも力を頂いています。
―――中田さんから見た高橋さんはどのような方でしょうか。
高橋さんはアテネの頃から、「自分は金メダルを取れる」と信じて成功されてきました。高橋さんは3年前にトライアスロンを始めていますが、それまでは泳げなかったそうです。
高橋さんは「自分はできる」と信じ、泳げるようになり、パラトライアスロンを始めました。そのような何でも前向きに挑戦している高橋さんは私の憧れです。競技だけではなく、学校などでの講演も積極的にされており普及にも努めています。
たまたま、高橋さんの自宅の前で自転車のセッティングをしていたら、地元の子ども達が「高橋さん!また学校に来てね」と駆け寄ってきました。自分の競技だけではなく、トライアスロンの普及活動も含め、活動されている姿を見ると、刺激を受けます。
私も多くの学校へ講演に伺い、選手の活動を知ってもらい、応援に来ていただきたいと思っています。高橋選手は、私の人生にすごくいい影響を与えてくれました。これからも一緒に競技を続けていきたいと思います。
―――これまでのキャリアのなかで、最高だった経験や、心に残っているエピソードを教えてください。
2つあって、1つは高橋選手とのアテネパラリンピックの金メダル獲得です。ライバル選手が多い中で、高橋選手の得意な中盤で勝負を仕掛けて、独走。終盤で詰められながらも逃げ切ってゴールテープを切ることができました。
当時私は20代前半でしたが、初めてのパラリンピックで最高の経験をすることができました。ゴールしたとき、雑誌の投稿を見つけたあの時が浮かびました。高橋選手に迷わず連絡して良かったなと強く思いました。
ゴールした時の感動、高橋選手の力強い走り、応援してくれる人たちの喜んでいる姿、伴走して良かったと心から思いました。
もう1つは和田選手とのロンドンパラリンピックの銅メダル獲得です。当時、出場選手の中では世界ランキングが下から2番目。いわゆるメダル圏外の選手と思われていました。ただ、和田選手も私もメダル獲得にために準備をしていました。
ロングスパートも勝てるし、最後のスプリント勝負でも勝てるオールマイティな選手になるには時間がありませんでした。自分たちは「300mのラストスパートであれば勝てる」、そこだけに絞った練習していました。
本番、レースをコントロールすることに徹し、ラスト300M勝負に持ち込むことができました。トレーニングで行ってきた300Mのラストスパートを和田選手が見事に決めて、銅メダルを獲得することができました。
高橋選手とのマラソン、和田選手との5000M、それぞれのパラリンピックで得た経験は忘れられません。
伴走者のこれからについて。目指す方、応援する方へのメッセージ
―――マラソンやトライアスロンの伴走者という立場で、今後のスポーツ界がこうなっていったらいいな、もっとこういうことが起きてくるといいなと思うことを教えてください。
経験の有無は関係なく、多くの人にパラスポーツに興味を持っていただき、一緒に楽しんでいきたいと思っています。健常者スポーツと障がい者スポーツと分けずに同じ競技を行うことで、交流が進み、培われてきたそれぞれのノウハウも共有されて、より一層競技レベルが上がってくると思います。
最近は、障がい者も一緒に出られるような試合が増えてきました。車椅子のレースのスピード感を身近で感じられる機会があることは巣bらしいなと思っています。
東京パラリンピックの開催が決まってから、パラリンピックへの理解がすごく進んだことは財産だと思います。アテネパラリンピックの当時は、「パラリンピック」と言っても多くの子ども達はパラリンピックを知りませんでした。
いまは学校の授業にも組み込まれ、子ども達は東京パラリンピックをテレビで応援してくれました。パラリンピックを応援してくれる方が増えており、とても嬉しく思っています。
―――中田さんのように、バックアスリートを目指す方々へメッセージをお願いします。
新しい世界に飛び込んでみるのも面白いと思います。私みたいな競技パートナーという入り方もあれば、コーチとして技術的な指導で入る方、心理サポートなどさまざまな支援の形があります。皆さんが今まで培ってきた経験が活かせると思います。
伴走するための資格はありません。横にいて、安全を確保しながら一緒に走るだけなのです。全盲の選手は誰かがいないと走ることはできません。「腕を合わせるのが難しいんじゃない?」と言われることがよくありますが、その点も心配はありません。
選手は今までに何百人ものランナーと走っている”伴走のプロ”です。どんな歩幅や腕振りでも、選手がすぐに合わせてくれるので、普通にリラックスして走れば良いのです。選手の目となり、選手の横で安全を確保することを忘れなければ大丈夫です。
競技の伴走では、伴走者(自分)が選手に腕を合わせますが、普段のジョギングであれば自分が合わせる必要はありませんので、ぜひ伴走を経験して頂きたいと思います。
―――パラリンピックを応援される方に知って欲しいことはありますか?
伴走者は、声で駆け引きをします。前の人を追いかけている時に、後ろから迫られているように感じてもらえるよう、声のボリュームを調整することもあります。選手が勝てるように、そのような駆け引きをすることもあります。
選手の頑張りを身近で感じているので、私は選手の目標を達成できるように全力を尽くすことを常に考えています。これからも多くの選手をサポートし、全員が目標達成できるように力になりたいと思っています。パラアスリートの応援をどうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール
中田 崇志(なかた たかし)
生年月日:1979年10月23日
出身地 :宮城県仙台市
出身校 :東京都立西高等学校、東京学芸大学(教育学部)
所属 :株式会社NTTデータ、マラソン完走クラブ
中学時代に陸上競技を始める。大学時代には日本インカレで7位に入る。大学卒業後、NTTデータに勤務しながら、陸上競技を続け、2003年に伴走に取り組む。翌年の2004年に高橋勇市選手と共にアテネパラリンピックに出場し、マラソンにて優勝。その後も伴走を続け、ロンドンパラリンピックでは、和田伸也選手と共に出場し、長距離立位初となるメダル(3位)を獲得。
伴走レース
アテネパラリンピック 高橋勇市選手の伴走 |
金メダル(マラソン) |
ロンドンパラリンピック 和田伸也選手の伴走 |
銅メダル(5000M) |
リオデジャネイロパラリンピック 和田伸也選手の伴走 |
5位(マラソン) 6位(1500M) 6位(5000M) |
2006年 世界選手権 | 金メダル(マラソン) |
2011年 世界選手権 | 銅メダル(マラソン) |
2013年 世界選手権 | 銀メダル(マラソン) |
2015年 世界選手権 | 銅メダル(5000M) |
2017年 ワールドカップ | 金メダル(マラソン) |
2018年 アジアパラ競技大会 | 銀メダル(1500M) 銀メダル(5000M) |