トライアスロンのコーチとして指導で大切にしている4つの言葉~若杉恵夢さん~
トライアスロンをはじめて23年。「やっぱりトライアスロンが本当に好きなんだと思う」若杉恵夢さんは笑顔で語ります。幅広い世代の方々に、トライアスロンの魅力を伝えるにはどうしたら良いか、常に探求しながらコーチングに向き合われています。
目次
そんな若杉さん自身も、辛い時期を乗り越え今がある。インタビューでは様々なお話をいただきました。支えてもらい今がある。「感謝」を忘れないこと。ストイックな若杉さんの情熱は幅広い世代に伝わり、笑顔の輪を広げています。
トライアスロン選手からコーチになった経緯
―――はじめに、トライアスロンの選手からコーチになられた経緯をぜひ教えてください。
若杉 家の近所にスイミングクラブがあり、1歳の頃から水泳を始めました。小学校3年生の頃に、そのスイミングクラブに国内初のキッズ・ジュニアのトライアスロンスクールが開校されたことが転機になりました。私は泳ぐことや走ることが好きだったので「トライアスロンをやってみないか?」と誘われ、3つ上の兄と一緒に始めました。
そのままトライアスロンを続け、スポーツ推薦で日本体育大学に入学し、さらに本腰を入れて競技に励みました。在学中はインカレ(日本学生選手権)で3位入賞、ユニバーシアード(世界学生選手権)にも出場しています。コーチになるきっかけを考えると、小学校3年生の頃に指導してくれたコーチとの出会いが大きかったです。私にとってコーチは、今でも恩師といえるほどの存在です。
私が持つ才能を上手く引き出し、プラスの方向へと導いてくれて、コーチの指導のおかげで、「トライアスロンがすごく楽しい」という感情をもったまま成長できました。コーチ業を始めるようになったのは、大学卒業後になります。
湘南ベルマーレトライアスロンチームに加入し、レースに出場しながらコーチ業を学び始めました。指導を学んでいくうちに2、3年後には競技との比重が変わっていき、コーチ業をメインで行うようになりました。現在、コーチ業は9年目になります。
―――トライアスロンのコーチというと、日本ではあまり多い印象はありませんが、現状はいかがでしょうか?
若杉 トライアスロンのコーチといっても分野は様々です。例えば、プロ選手を抱えている実業団チームの強化活動、事業者団体スクールの普及活動、子どもたちの育成指導などが存在します。
年齢層は40代~50代と比較的高めで、私のような30代前半のコーチは、ほぼいないような状態です。それがなぜかというと、生計が上手く成り立たないことが大きな理由だと思います。
私もトライアスロンのコーチを無知の状態からスタートして、厳しい期間を過ごした記憶があります。それがあるからこそ、今がある訳ですが、ハードルは高いです。「トライアスロンのコーチ=とても困難」というイメージが強く、国内で活躍されていた選手たちもスパッと辞めてしまうことが多いです。
現在、私が指導しているお客様は300名程度になります。私のように小学生・中学生・高校生・大学生・成人の方々を幅広く指導しているのは、国内では私だけでしょう。ここまでになるのは、とても大変で辛い曲面も多くありました。
それでも続けてこれたのは、先ほど経歴で触れた小学校3年生の頃に感じた「トライアスロンがすごく楽しい」という感情ですね。こういった感情をお客様一人ひとりに感じて欲しいところが1つあるのと、私が今までに経験してきた知識・感動を伝えたいという2つの軸があるので、どんなことも頑張ろうと思えますね。
―――トライアスロンのコーチの日常のスケジュールは一般の方にはイメージしにくいのですが、どういった過ごされ方をしていますか?
若杉 トライアスロンのお客様は早朝に泳ぐので、火・木・土・日曜日の週4回、朝6時から水泳の指導をしています(笑)大変だと思われるかもしれませんが、それが生活リズムの基盤になっています。
だいたいの流れで言うと朝4時30分に起きて、5時過ぎに指導現場へ着き、スクールができるように準備を始めます。7時半頃にスクールが終わり、帰宅してから朝食を取ります。
その後、お昼頃まで事務作業などを行い、昼食を食べて30分程度の仮眠をとり、体力を回復させます。午後は再び事務作業を行い、夕方から指導現場(主に日本体育大学、都内の青山トライアスロン倶楽部や湘南ベルマーレのランニングスクール)へ移動して、21時頃に帰宅をして一日が終了です。
土日は午前中に仕事(キッズ・ジュニアトライアスロン指導)を終えることが多いので、午後は比較的ゆっくり過ごしていますが、よく考えると丸一日休みというのは年間を通じてほとんどありません。お客様の管理を含めて、事務作業をしていることが多いです。ちなみに早朝スクールの指導がない日でも早起きして、ランニングやサイクリングなどで身体を動かすという、生活リズムを作っています。普通の人からみたらただの変態ですよね(笑)
コーチからみるトライアスロンの魅力
―――コーチとしてトライアスロンの魅力をぜひ教えてください。
若杉 トライアスロンはすごく面白い競技です。水泳・自転車・ランニングという3つの種目があり、特徴は環境の変化が激しいことです。例えば、ものすごく海が荒れている時もあるし、自転車に乗れば、強風の時や暑い日もある。
雨が降っていても大会は開催されます。環境の変化の影響を受けやすいため、自身の経験値により結果が左右される競技でもあります。どんなに練習を積んでも、大会当日は過去と同じシチュエーションは一切起こらないので、とても難しい競技です。
そのため、指導者として様々なことを教えないといけないと思っています。なかには、「これ本当に練習なの?」と思うようなことも取り入れています。特に子供の指導に関しては、指導内容に教育を混ぜ、人間性や社会性も教える必要があります。
例えば、子供たちの安全を第一に、自転車の正しい乗り方や公共道路でのルールやマナーもしっかり伝えたうえで、競技で必要となる技術も教えています。指導で難しいと思っている点は、科学的に研究しなければいけない部分があるということです。
例えば、トライアスロンのトップを目指している選手は、「このペースで走れば心拍数がこれぐらいで、血中乳酸値がどれぐらいか」、「空気抵抗を考えるとポジションをもう少し下げよう」など、数値化・データ化すること、それにプラスして環境の変化にも慣れていかなければいけない。奥深いところまで考えなければいけないので頭を沢山使います。
逆に言えばそういった部分が刺激的であり、やりがいを感じるのかもしれません。様々な変化があるからこそ、飽きずに集中力を保つことができる。そんな魅力がありますね。
―――私達がトライアスロンに持つイメージは肉体的にハードな一面ですが、実際は頭も使って精神的にもハードですね。
若杉 そうですね。ただ、そこには落とし穴があります。理屈的な人は頭で考えすぎてしまい、どれが正解かわからなくなってしまう傾向があります。子どもの成長過程を例に挙げると、何か一つだけに拘ると集中力が欠けてしまう。
そのため、実際のレースを想定した内容だけで競技力向上を目指すのではなく、メリハリをつけた内容での指導が大事になってきます。トライアスロンは3種目あるので、競技を飽きずに続けられるように、ゲーム要素を交えた楽しい内容を豊富に取り入れることで、集中力を分散してバランスよく鍛え、自ら考える力までを養えると思います。
また、誰でも最初は「完走したい」という目標でスタートしますが、初心者の方は覚えることが沢山あります。ウエットスーツを着るのはどうするか、脱ぐのはどうするか、ヘルメット被るにはどうするか、靴をどう履くとか。本当に細かなことを覚える必要があります。些細なことかもしれませんが、少しずつ自身が成長する姿を肌で感じられる部分がトライアスロンならではの楽しさだと考えます。
トライアスロンのコーチとしてのやりがい
―――トライアスロンのコーチとしてのやりがいをぜひ教えてください。
若杉 やっぱり感謝されることが一番嬉しいですね。指導が終わった後に「ありがとうございました!」、「またよろしくお願いします!」、「大会で良い成績出ました!」、「練習が楽しいです!」など、そういった感情を伝えてもらえることが私自身の日々の活力となり、大きな励みでもあります。
私が指導をする上で、大事にしている言葉が4つあります。まず1つは「信頼」。言葉のキャッボールをして、お互いの信頼関係を築いていくこと。一人ひとりの気持ちに寄り添った前向きな指導をするように心掛けています。次は「探究」。1つのことだけに拘った指導をするのではなく、常に探求心を持って学び、指導力を高めること。
コーチとして新しいことを取り入れて私自身をアップデートしています。あとは先ほどの話の中でも触れた「感謝」です。たくさんの「ありがとう」という言葉に、私自身が元気をもらっています。温かい関係を築き、私自身も感謝を忘れないことを念頭に置いています。そして最後は「笑顔」ですね。嬉しい出来事はみんなで共有し、笑顔の場を増やしています。
一日でも長く競技を楽しんでもらえることが私自身にとっても何よりの喜びです。また、指導現場でお客様の悪い部分を基本的に探すことはしません。なぜかというと、私自身が嫌だから(笑)単純に悪い部分を指摘され続けても嬉しくないと考えます。
私が小学校3年生の頃にで出会ったコーチも、「今日も頑張ったんね!」「あっ、上手になってるね!」「ここはこうした方がもっと良いと思うよ!」など、常に良い部分を探してくれました。ポジティブな言葉で相手の長所を伸ばし、前向きな感情を維持してもらうことも大切だと思います。
―――幅広い世代の方へコーチングをされていますが、その中で感じる難しさや最高の経験、感動はありますか?
若杉 大切にしていることの1つ、「探究心」になるかもしれませんが、世代に合わせた情報を常に仕入れています。大人のスクールには、経営者を含めて人生の成功者と言える方々がスクールに通われています。
普段接することできない方々と当たり前のように会話をすることができて、すごく恵まれているなと思っています。また、そういった方々に限らず、私よりも歳上のお客様がほとんどなので、上手く会話ができるように日頃から新聞やニュースなどをチェックして、話題の引き出しを用意する努力をしています。子供のスクールについても、最近流行しているテレビ・アニメ・音楽などを調べています。
目線を一緒にして過ごすことは子供たちに安心感を与え、とても大切です。その他にも中学生だったら反抗期が出てきますし、高校生・大学生になってくると様々な知識を入れて大人ぶる子、悩む子もいます。競技以外の悩みも聞いてあげてアドバイスするようにしています。何より、相手の気持ちに添ってあげることが大事です。
コーチとしての最高の経験や感動した経験については、正直まだありません。ただ、小学生の頃からずっと教えていた子供たちが今は中学生になり、最近では、カテゴリー別の日本選手権に出場できるようになりました。
この子たちがあと3、4年ぐらいしたらカテゴリー別のトップで戦える日がくるかもしれない。そう思うとすごく楽しみですし、トライアスロンを通じて箱根ランナーを育てたいという野望もあります。将来的な可能性を秘めた子供たちが本当に多いので、最高の感動というのはまだまだ先だと思います。
今後スポーツ界やトライアスロン業界へ期待すること
―――スポーツ界、トライアスロン業界で、こういう風になれば良くなる、変わると思うことはありますか?
若杉 トライアスロン業界で考えると、冒頭でもお話ししたように、トライアスロンコーチが極端に少ないです。生計を立てるのが難しく、若い世代がいない状態です。私としてはトライアスロン業を気軽に学べる場をもっと増やすべきじゃないかと思っています。
私の場合、小学生3年生の頃のコーチや湘南ベルマーレのコーチにご指導をしていただき、今があります。私が今まで育ってきたように、上に立つ方々が積極的に若い世代を育てるような環境が必要だと考えます。これは私にも当てはまることですが、トライアスロンコーチに興味を持った学生たちへ親身に声掛けを行うところからではないでしょうか。
―――これからBack athleteを目指している学生さんへ一歩踏み越えて打開するにはどうしたらいいか教えてください。
若杉 私のこれまでを振り返ると、やっぱりトライアスロンが好きだというブレない軸があることですね。トライアスロンが好きだし、小学校の頃に感じた「楽しい」という感情が今でも残っていること。トライアスロンが私を大きく成長させてくれ、好きだから乗り越えてこれたという部分があったように感じます。コーチ業の話をすると、今でこそ300程度のお客様がいますが、新卒社会人になって1年目は数名でした・・・。
当時は、「このままでは生計的にもまずい、本当に親に申し訳ない」と焦ってばかりだったのを思い出します。ただでさえトライアスロンはお金のかかる競技。それを大学生になるまで兄弟でやらせてもらっている中で、卒業してからも全然仕事もできず、申し訳ない気持ちしかありませんでした。でもそこから這い上がっていく気持ちの方が強く、どん底からコツコツ積み重ねていきました。
コーチ業を続けるうちに、周りの友人だけでなくお客様のお子さん、更には親戚まで来てくれるようになりました。「恵夢コーチ!恵夢コーチ!」と、口コミで徐々に輪が広がり、感謝の気持ちしかありません。そういったお客様との深い繋がりや有り難みを心から感じられたことが、これまで続けてこれた理由の1つですね。
若杉さんとしての将来のビジョン
―――これからのビジョンをぜひ教えてください。
若杉 正直、今の生活はとてもハードです。身体が資本の為、こういった生活を長く動けるのも限られると思っています。60歳になっても同じことを続けるのは絶対に無理です(笑)将来的には私の活動に興味を持った方々に、コーチングのノウハウを伝えて、私の仕事を少しずつ受け継いでもらいたいと思います。最終的には管理する立場になりたいという意味です。
私は個人事業主でありながら、主として湘南ベルマーレに属しています。湘南ベルマーレは地域に根付いた素晴らしい団体であり、子供からお年寄りまで沢山の方々に愛されています。その為、Jリーグのサッカーを中心に、様々なカテゴリー(フットサル・トライアスロン・ビーチバレー・サイクリング・ラグビー・ビーチサッカー)の活動や事業展開を行っています。
先日、元サッカー選手とコラボした企画がありました。それはマンションの自治体の取り組みで、防災訓練の一環として、防災とスポーツ(親子サッカーとかけっこ)を絡めた仕事です。私としてはとても興味深い事業であり、「スポーツの在り方」は本当に沢山あると感じました。今後はトライアスロンに限らず、様々なスポーツを通じて、スポーツ愛好者の輪を広げていきたいです。まずは身体を壊さない限り、現役でコーチ業を続けていきますけどね。
―――最後に、Back athleteを目指している学生を後押しするアドバイスやメッセージをお願いします。
若杉 よく耳にする言葉ですが、「自分の好きなことには積極的に挑戦しなさい」まさにその通りだと思います。興味のあること・好きなことは何なのかを探すことはとても大切です。就職活動を始めて、「自分の興味のあることってなんだろう」、「好きなことってなんだろう」と改めて考えると答えを出せない人が多いと思います。
なので、日頃から視野を広げた活動を心掛けて、もし興味のあること・好きなことが見つかったら、それに関わるためにはどういったことをしたらいいのかを常に考えた方がいいです。私自身、右も左もわからないどん底の状態からトライアスロンのコーチ業をスタートしましたが、「やっぱりトライアスロンが好き!」この感情があったからこそここまで来ることができました。もし、好きなことがあれば諦めずにどんどん挑戦して欲しいです!応援してます!
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プロフィール
若杉 恵夢(わかすぎ えむ)
プロフェッショナルコーチ
1989年4月29日生まれ 神奈川県座間市出身
小学3年生でトライアスロン競技に出会い、幼い頃から競技力向上へと励む
日本体育大学在籍中はインカレ(日本学生選手権)3位
ユニバーシアード(世界学生選手権)出場。卒業後はレースに出場しながらコーチ業を学び、現在はプロフェッショナルコーチとして活動。
年間指導人数は延べ15,000人にのぼる。